古山高麗雄
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古山 高麗雄(ふるやま こまお、1920年8月6日 - 2002年3月11日)は、日本の作家・小説家、編集者。
主として第二次大戦期をとりあげた小説と、戦後の生活を舞台にした小説を発表し、いかなる場においても変わることのない人間のありかたを描き出した。
目次 |
[編集] 略歴
- 1920年 朝鮮新義州に生まれる。
- 1938年 新義州中学校を卒業、第二高等学校理科に不合格。城北高等補修学校に入校
- 1939年 第二高等学校理科不合格。城北高等補修学校にて安岡章太郎と知遇を得る
- 1940年 第三高等学校文科丙類入学。
- 1941年 同校退学。母死去。
- 1942年 徴兵検査で第二乙種合格。仙台の歩兵第四聯隊に配属される。
- 1943年 第二師団司令部に転属、南方に出兵。
- 1946年 捕虜収容所勤務歴により、BC級戦犯容疑者としてベトナムにて拘束される。父死去
- 1947年 禁固8ヶ月の判決が下されるも、未決通算により翌日釈放、復員。
- 1948年 財団法人日本映画教育協会に就職。
- 1949年 松浪明子と結婚。
- 1950年 財団法人日本映画教育協会を退職。河出書房に入社。長女千佳子出生。
- 1957年 河出書房倒産により、退職。
- 1958年 教育出版嘱託契約。
- 1962年 教育出版嘱託を解除、芸術生活に入社。
- 1963年 季刊藝術の同人に参加し、編集専従として編集長に就任。芸術生活を退社。
- 1969年 初の作品となる『墓地にて』を発表。
- 1970年 『プレオー8の夜明け』にて芥川龍之介賞を受賞。
- 1973年 『小さな市街図』にて藝術選奨新人賞を受賞。
- 1979年 季刊藝術社を退社。
- 1993年 『セミの記憶』にて川端康成文学賞を受賞。
- 1999年 妻明子病没。
- 2000年 『断作戦』『龍陵会戦』『フーコン戦記』の三部作にて菊池寛賞を受賞。
- 2002年 神奈川県相模原市上鶴間の自宅で死去。享年81。
[編集] 評価
編集者として、森敦を見出すなど、広い識見を高く評価される。また人脈も広く、予備校時代の安岡章太郎をはじめ、遠山一行、江藤淳、高階秀爾、小島信夫、円地文子らと深い交流を持った。安岡章太郎の『悪い仲間』の「藤井高麗彦」のモデルでもある。 作家志望は無く、編集者として一生を送るつもりであったが、円地文子が原稿を落とした際に、江藤淳に勧められて発表した『墓地にて』が評価され、『文藝』に発表した2作目の作品『プレオー8の夜明け』が芥川賞を受賞。編集者と作家の二束のわらじとなったが主軸は、あくまで編集者に置かれていた。 緻密な描写と批判的な視点を持ち、戦史だけではなく教育にも精通していたが長編作品は少なく、約50冊ほどと寡作の作家であるといえる。 新しい歴史教科書をつくる会の賛同人でもあった。
[編集] 代表的な著作
- プレオー8(ユイット)の夜明け
- セミの追憶
- 二十三の戦争短編小説
- 反時代的、反教養的、半叙情的―必ず、何か、いいものがある