吉展ちゃん誘拐殺人事件
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注意:この記事の記事名は被害者の名前を含んだ事件名となっています。現代では被害者に対するプライバシーや人権意識の向上により、被害者の名前を事件名に用いることはありませんが、時代背景を重視し、当時用いられていた事件名をそのまま記事名に用いていることに注意してください。 |
吉展ちゃん誘拐殺人事件(よしのぶちゃんゆうかいさつじんじけん)とは、1963年3月31日に東京都台東区入谷(現在の松が谷)で起きた男児誘拐殺人事件。
日本で初めて報道協定が結ばれた事件であり、この事件から、被害者やその家族に対しての被害拡大防止ならびにプライバシーの観点から、誘拐事件の際には報道協定を結ぶ慣例が生まれた。
目次 |
[編集] 誘拐事件発生
- 4月4日 - 身代金を要求する電話が入り、家族が吉展ちゃんの安否を確認させるよう求め電話を引き延ばした結果、犯人からの電話の録音に成功する。(のちに公開された音声は、この電話の物である。)
- 4月7日 - 身代金の受け渡し方法を指示する電話が入る。警察は、受け渡しの際に犯人を逮捕しようとするが失敗する。
- 4月19日 - 警察は公開捜査に切り替える。犯人からの電話を公開し、情報提供を求めたところ一万件に及ぶ情報が寄せられる。寄せられた情報には、犯人に直接つながる情報もあったが、証拠に欠けたため見逃される。
[編集] 捜査
捜査は長引き、犯人逮捕まで2年の歳月を要した。捜査が長引いた理由には次のようなものがある。
- 人質は事件発生後すぐに殺害されていたが、警察はそれを知らなかった。
- 警察は人質が殺害されることを恐れ、報道各社と報道協定を結んだ。
- 当時はまだ、電話を逆探知することが法的に許されていなかった。
- 身代金の紙幣のナンバーを控えるのを忘れてしまっていた。
結局は、マスコミを通じて情報提供を依頼することとなった。
事件発生から2年が経過した1965年3月31日、警察は捜査本部を解散し、「FBI方式」と呼ばれる専従者をあてる方式に切り替えた。警察庁科学警察研究所の鈴木隆雄氏に録音の声紋鑑定依頼をしたが当時は技術が確立されず、刑事の地道な捜査から犯人からの電話の声が容疑者の一人、小原保と良く似ているとされたことや、小原のアリバイに不明確な点があることを理由に事情聴取が行われる。
[編集] 事件解決
容疑者だった小原は1965年7月に犯行を認め、まもなく逮捕された。
最終的に小原を自供に追い込んだのは、刑事平塚八兵衛による、徹底的なアリバイの洗い直しと供述の矛盾を突くねばり強い取り調べの結果であった。小原はそれ以前にも何度か捜査線上に浮かび取り調べを受けたものの、アリバイを崩せなかったことと取り調べをはぐらかすような供述によって、逮捕に至らなかったのである。平塚の場合も与えられた取り調べ期間の最終日にようやく「落とす」ことにこぎ着けた。
こうして犯人は逮捕されたが、小原の供述から吉展は誘拐直後に殺害されていたことがわかり、寺院の墓地から遺体で発見された。
[編集] 裁判
1966年3月、東京地裁が死刑を言い渡すが、弁護側が計画性はなかったとして控訴。
同年9月から控訴審として計3回の公判を行うも、11月に東京高裁でも控訴が棄却される。その後、弁護側は上告するも1967年10月に棄却され死刑が確定する。そして4年後の1971年12月23日に死刑が執行された。
小原の処刑間際の言葉として、「今度、生まれてくるときは真人間に生まれてきますからと、どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残した事が知られている。この言葉は、当時、府中署の「3億円事件」の特捜本部にいた平塚八兵衛に、看守によって電話で伝えられた。
[編集] 事件の反響など
この事件の捜査に当たって犯人を取り逃がすという失敗を犯してしまった。直後に狭山事件も発生し、ここでも捜査陣が犯人を取り逃がしてしまうと言う失態を再び演じたことで警察に対する批判が沸き起こり、狭山事件においてその後の捜査の強引さに結びついたと言われている。
またこの事件を一つのきっかけとして、1964年に刑法の営利誘拐に「身の代金目的略取」という条項が追加され、通常の営利誘拐よりも重い刑罰を課すように改められた。
この事件に題材をとり本田靖春は小説『誘拐』を執筆、第39回文藝春秋読者賞と第9回講談社出版文化賞を受賞し、テレビドラマ化(1979年、『戦後最大の誘拐事件 吉展ちゃん事件』。小原役は泉谷しげる)もされた。
余談ながら、刑事ドラマなどでの容疑者取調べの際、カツ丼が定番メニューとなったのはこの事件がきっかけという説があり、小原が幼いころから貧しかったためにカツ丼の様な高級品は食べたことがなく食べさせた途端に自供したという。
しかしながら、小原を自供に追い込んだ刑事平塚八兵衛の回想にもそうした話は一切出てこない(小原が拘置所の食事の準備を物音から察知して「食事の時間だから房に戻せ」と言ったという話が出てくる)ことから、他の事件の話を擬したものか都市伝説である可能性が高い。現在は供応行為として自白の任意性が否定されるため、このような事は絶対に行われない。
[編集] 歌
1965年3月、吉展ちゃん誘拐殺人事件を主題とした楽曲『かえしておくれ今すぐに』(作詞:藤田敏雄、作曲:いずみたく)がフランク永井、ザ・ピーナッツ、ボニージャックスの競作で発売された。
[編集] 関連項目
- 天国と地獄 (映画) - 小原が犯行に当たってヒントにしたといわれる。