フランク永井
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フランク永井(ふらんくながい、1932年3月18日 - )は、日本の歌手。本名は、永井 清人(ながい きよと)。宮城県志田郡松山町(現・大崎市)出身。独特の低音ボイスは、多くの人を魅了し、歌謡界に多くの軌跡を残した。
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[編集] 経歴
歌手にあこがれ上京。進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、バイト生活を経て、アメリカ軍のクラブ歌手として月100ドルで契約する。さまざまな「のど自慢大会」に出場し、「のど自慢荒らし」の異名をとっていたが、1955年(昭和30年)に日本テレビの「素人のど自慢」の年間ベストワンに選ばれたのを期にビクターと契約。同年9月に「恋人よ我に帰れ」でデビューする。ジャズを得意としたがヒットに恵まれず、作曲家・吉田正との出会いを期に歌謡曲に転向。1957年(昭和32年)の「有楽町で逢いましょう」(これは、今は閉店となった有楽町そごうのキャンペーンソングである)が爆発的ヒットとなり、一躍スターの座へ。自ら見出した松尾和子と共に歌った1959年(昭和34年)の「東京ナイト・クラブ」は、デュエットソングの定番として現在でも歌い継がれている名曲である。 コンサートにおいては、趣向を凝らし緻密に練り上げられた構成のステージングに定評があった。永井はNHKで一席を披露したこともあるほどの落語好きとしても知られ、ステージのMCで小噺を披露することもあった。レコード大賞とも縁が深く、大賞1回、歌唱賞2回、特別賞3回、受賞している。 その後も着々と新曲を発表。1972年(昭和47年)発表の「おまえに」などもヒットとし、紅白歌合戦には1982年(昭和57年)の第33回まで連続26回出場した。順調な歌手生活かと思われたが、1985年(昭和60年)10月21日に愛人との間の子の養育費の請求を苦に、首吊り自殺を図る。一命は取り留めたが、後遺症を患う。リハビリ治療によってある程度は回復したが、現在にいたるまで復帰の目処はたっていない。
[編集] 主な作品
- 13800円 1957年(昭和32年) - 13800円は、当時の大卒初任給の平均額
- 東京午前三時 1957年(昭和32年)
- 夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)
- 有楽町で逢いましょう 1957年(昭和32年) - 有楽町そごうのキャンペーンソング。本来三浦洸一の吹き込み予定作だったが、作曲した吉田正の強い希望でフランクに回った。
- 羽田発7時50分 1958年(昭和33年)
- 街角のギター 1958年(昭和33年)
- 西銀座駅前 1958年(昭和33年)
- こいさんのラブ・コール 1958年(昭和33年)
- ラブ・レター 1958年(昭和33年)
- 俺は淋しいんだ 1958年(昭和33年)
- 夜霧に消えたチャコ 1959年(昭和34年)
- 東京ナイトクラブ 1959年(昭和34年) - 松尾和子とのデュエット曲。
- 恋夜 1959年(昭和34年)
- 冷たいキッス 1959年(昭和34年)
- 好き 好き 好き 1960年(昭和35年)
- 大阪野郎 1960年(昭和35年)
- 東京カチート 1960年(昭和35年)
- 君恋し 1961年(昭和36年) - 元は二村定一のヒット曲 1928年(昭和3年)
- 悲しみは消えない 1962年(昭和35年)
- 初恋の詩 1962年(昭和35年)
- 霧子のタンゴ 1962年(昭和37年)
- 新東京小唄 1962年(昭和37年)
- 赤ちゃんは王様だ 1963年(昭和38年)
- 戦場の恋 1963年(昭和38年)
- 逢いたくて 1963年(昭和38年)
- 冬子という女 1964年(昭和39年)
- 国道18号線 1964年(昭和39年) - 松尾和子とのデュエット曲。
- 大阪ぐらし 1964年(昭和39年)
- 悲恋のワルツ 1964年(昭和39年)
- 恋うた(ラブ・コール) 1964年(昭和39年)
- わたしゃ人生大学生 1965年(昭和40年)
- 妻を恋うる唄 1965年(昭和40年)
- 帰しておくれ今すぐに 1965年(昭和40年) - ザ・ピーナッツ、ボニージャックスとの競作。吉展ちゃん誘拐殺人事件犯人への呼びかけの歌で、犯人逮捕後は封印された。
- 東京しぐれ 1965年(昭和40年)
- 大阪ろまん 1966年(昭和41年)
- 船場ごころ 1967年(昭和42年)
- 加茂川ブルース 1968年(昭和43年)
- おまえに 1977年(昭和52年) - 元は「大阪ろまん」B面曲。47年にもシングル発売。
- 11時過ぎから 1977年(昭和52年) - 松尾和子とのデュエット曲。
- 公園の手品師 1978年(昭和33年)- 元は1958年(昭和33年)の作品。
- WOMAN 1982年(昭和57年) - 山下達郎プロデュース作品。
[編集] 映画
- 「羽田発7時50分」(1958年、日活)テストドライバー永井(通称フランク)役
[編集] 受賞歴
レコード大賞
- 夜霧に消えたチャコ 1959年(昭和34年)- 第1回・作曲賞、歌唱賞
- 君恋し 1961年(昭和36年) - 第3回・大賞
- 月火水木金土の歌 1962年(昭和37年) - 第4回・作詞賞
- 赤ちゃんは王様だ 1963年(昭和38年)- 第5回・歌唱賞
- 1973年(昭和48年)- 第15回・制定15周年記念賞
その他の賞
- リサイタル「慕情-歌と共に10年」1965年(昭和40年)- 芸術祭奨励賞
- リサイタル「ある歌手の喜びと悲しみの記録」1970年(昭和45年)- 芸術祭優秀賞
- 1971年(昭和46年)- 芸術選奨文部大臣賞(歌謡曲歌手として初の受賞)