図南SC群馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
図南SC群馬 | |
原語表記 | 図南サッカークラブ群馬 |
---|---|
愛称 | |
クラブカラー | 黒・白 |
創設年 | 1982年 |
所属リーグ | 群馬県社会人リーグ |
所属ディビジョン | 1部 |
ホームタウン | 群馬県前橋市 |
ホームスタジアム | |
収容人数 | |
代表者 | 菅原宏 |
監督 | 菅原宏 |
図南SC群馬(となんサッカークラブぐんま)は、サッカーどころ群馬県前橋市を本拠地にする高校サッカー部が発展する形で誕生したサッカークラブ。
1982年、高校サッカー界で強豪である群馬県立前橋商業高等学校サッカー部の奈良和彦監督が中心になって前橋商業高校サッカー部OBたちが集まり図南サッカークラブを結成した。当初はOBが卒業して社会人になってからも体を動かしサッカーを楽しめるように作られたサッカー倶楽部という趣もあった。
しかし、群馬サッカーリーグ3部に参戦するや奈良監督の教え子たちは初年度からチームワークを発揮し、そのシーズンは県選手権ベスト4という成績を残す。
1985年2部昇格、翌年1986年には群馬県リーグ1部に昇格。社会人企業チームと互角に競り合い、この年の天皇杯県予選トーナメントでは3位になる。
1988年シーズン。試合中に興奮し審判に対しての暴力行為に発展。群馬県サッカー協会は事態を重くみて、監督は1年間の出場停止、チームは半年間の公式試合への出場停止、更には2部へ降格という処分が下された。
翌年2部を制し、1990年には1部に返り咲く、県総合選手権初優勝、天皇杯県予選準優勝を飾る。翌1991年県リーグ1部で初優勝、翌1992年には天皇杯県予選優勝、関東社会人選手権優勝、1993年晴れて関東リーグに昇格した。近年は関東と県リーグを行き来するシーズンが続く。
2006年シーズンにはJ2ザスパ草津より氏家英行、小久保純、樹森大介の3選手、JFLアルテ高崎から鏑木豪が加入。群馬県リーグ1部を9勝3分、平均得点5点という別次元の強さで制し、第40回関東社会人サッカー大会出場権を得た。当該大会決勝進出は関東リーグ昇格(準優勝は入れ替え戦の可能性あり)につながるが、大会前のインタビューでは、監督が「我々のチームは県リーグレベルのメンバーではない。このメンバーで昇格が出来ないなら、監督を辞める」旨の発言をするほど、大きな自信を持って大会に臨んだ。第1回戦は栃木県リーグ1位の宇都宮FCに8-1の圧勝。しかし、第2回戦で茨城県リーグ1位のクラブ・ドラゴンズに2-3で惜敗。(クラブ・ドラゴンズは準決勝を2-0で快勝、決勝を6-0で圧勝し、優勝した。組み合わせの悪さも災いした格好になった。)2007年シーズンも群馬県リーグでの戦いを続けることとなった。
2003年に図南SCから図南SC群馬に名称変更。1990年代後半からは元Jリーグ所属選手が所属するようにもなる。ジュニア、ジュニアユース、ユース、女子、シニアを抱える大きなクラブとなっている。