日本フットボールリーグ
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種類 | サッカー |
開始年 | 1999年 |
参加チーム | 18 |
国 | 日本 |
前回優勝チーム | ホンダFC |
日本フットボールリーグ(にほん―)は、1999年から始まった日本におけるサッカーリーグであり、Jリーグと地域リーグの間に位置するカテゴリである。略称は日本フットボールリーグ以前に同じようなカテゴリに位置していたジャパンフットボールリーグJapan Fottball Leagueの略称JFLをそのまま継承してJFLを使用している。ジャパンフットボールリーグと日本フットボールリーグは同じ略称を使用しているため、便宜的にジャパンフットボールリーグを旧JFL、日本フットボールリーグを新JFLと呼ぶ場合がある。
目次 |
[編集] 概要
ジャパンフットボールリーグがJリーグ参加を志向するチームが集まったセミプロリーグと言う性格を色濃く持っていたのに対して、日本フットボールリーグは純粋にアマチュアチームの最高峰リーグとしての性格を強くしている。
これはジャパンフットボールリーグから、開幕から終了までの7シーズンで、16チーム(1999年にJ2となったチームを含む)がJリーグに加盟したのに対して、開幕から同じ7シーズンを比較した場合、日本フットボールリーグからは5チームしか加盟していない事からも見て取る事ができる。
又、Jリーグのように日本サッカー協会から独立した個別の運営主体、すなわちJリーグの場合の社団法人日本プロサッカーリーグのような団体を持たず、日本サッカー協会が直接リーグ運営を行っている事も日本フットボールリーグの特徴である。
日本フットボールリーグに参加するチーム数は時代によって変化しているが、数度のチーム数の増大により、2006年シーズンからは18チームによりリーグが運営されている。
このうち原則として年間成績上位2チームに、もしJリーグ入りの意思があり、ソフト面ハード面においてその基準を満たしていれば、そのチームはJリーグ理事会の承認を得た上で翌年からJリーグに参加する事ができる。
逆に下位2チームには地域リーグへの降格の可能性がある。降格については、翌シーズンからのJリーグへの昇格クラブの有無によって左右される面があり、そのレギュレーションはシーズンによって一致していないのが現状である。
日本フットボールリーグに参加するチームは、大きく分けて二つに大別される。すなわち将来的にJリーグへの参加を希望するチームと、それ以外のアマチュアチームである。従ってこのリーグでプレーする選手にも差があり、チームとの間でプロ契約を締結している選手と、アマチュアとしてプレーする選手が混在しているのが現状である。特にJリーグを指向するクラブにはプロ選手が多く、どちらかと言うとセミプロ的なチームとなっている。
[編集] 歴史
[編集] 誕生
Jリーグが実力別の1、2部制になるため、1998年シーズンでジャパンフットボールリーグは一旦終了し、1999年シーズンから、98年シーズンのジャパンフットボールリーグに参加していたチームのうちでJ2に参加しなかった7チームと、全国地域リーグ決勝大会に優勝した横河電機を合わせた合計8クラブで始められたのが日本フットボールリーグの始めである。この新体制が決定した後に、急遽新クラブの横浜FCが特例として日本フットボールリーグからスタートする事が認められたため、第1回となる99年シーズンは合計9チームによって行われる事になった。
[編集] クラブ数の変遷
当初9チームで始まった、日本フットボールリーグはその後参加希望チームを受け入れる事によりチーム数を増やしていった。
先ず、第2回となる2000年シーズンに於いては、水戸がJ2参加により1チーム減となったのに対し、地域リーグから4チームが昇格し、12チームによるリーグとなった。第3回となる2001年シーズンに於いては横浜FCのJ2に参加により1チーム減となったのに対し、地域リーグから5チームが昇格し、16クラブによる体制となった。以降第7回となる2005年まで基本的にこの16チームの体制が維持された。
但し例外となったのは第4回2002年の大会で、2002年ワールドカップの影響により18チームによる1回戦総当りと言うかなりイレギュラーなリーグ運営を強いられる事になった。この例外的な18チームによる運営はこの一年限りで、翌2003年から2005年までの3シーズンは16チームにより運営されている。
2006年シーズンからはJリーグ参加を希望するチームの増加を受け、これまでの16チームから18チームによるリーグへと拡大している。
[編集] 優勝チームの変遷
当初2年間は横浜FCがジャパンフットボールリーグ時代を含めて初の連覇を達成するが、その後はホンダFC を始め、佐川急便東京サッカー部、佐川急便大阪サッカー部、YKKサッカー部(現・YKK APサッカー部)、大塚FCなどのアマチュアチームによって優勝争いが演じられた。このうち第3回の2001年シーズン、第4回の2002年シーズンにはホンダFCが2年連続で優勝した。この頃が日本フットボールリーグにおけるアマチュアチームの絶頂期である。
この動きに変化をもたらしたのが、第5回となる2003年シーズンに優勝した大塚FCである。大塚はアマチュアチームとしての体裁を取ってはいたが、2003年にJリーグ入りを目指す事が明確になると、翌2004年シーズンには2年連続優勝を果たしJリーグ入りへ大きな弾みをつける事になった。
この頃からJリーグを指向するチームが徐々に力を付け始め、アマチュアチームの牙城を突き崩し始めた。
[編集] Jリーグへの参加
既出であるが、日本フットボールリーグにおいて原則として上位2チームは、もしJリーグ参加の意思があるならばJリーグへ参加する資格を得る事ができる。ただし、Jリーグ参加の意志がないチームや準会員扱いのチームが上位を占めた場合は3位でも承認を得られる場合がある(水戸、草津など)。
日本フットボールリーグからJリーグへ参加したチームは1999年シーズンの第1回大会から水戸ホーリーホック、2000年の第2回大会から横浜FCと2年連続で続いたが、その後2004年シーズンの第6回大会で大塚FC(現:徳島ヴォルティス)とザスパ草津が昇格を決めるまで、3年間のブランクがあった。
この間、日本フットボールリーグの上位チームの中にJリーグ入りを標榜するチームは現れず、Jリーグのクラブ数が固定される状態が続いたが、徳島、草津がJリーグへの昇格を果たすと、他の日本フットボールリーグに所属しているチームにもJリーグ入りを目指すチームが徐々に出現し始めた。これに伴い、こうしたJリーグ入りを目指すチームが、従来日本フットボールリーグで上位を占めていた、ホンダ等のアマチュアチームの成績を上回るようになった。これは従来日本フットボールリーグが持っていたアマチュアチームの国内トップリーグという性格を変える出来事である。
尚、一部では日本フットボールリーグからJリーグに参加することを「昇格」と表現する事があるが、日本フットボールリーグとJリーグは別の組織であり、厳密に言うならば昇格との言葉は適切ではない。
2006年からJリーグ準会員制度が設けられた。(正確にはジャパンフットボールリーグの時代にもあったため復活)
2007年からはJリーグ準会員で日本フットボールリーグ年間順位が4位以内ならばJリーグに加入出来る。(但し、これはJ2所属のクラブ数が18クラブになる迄の暫定処置)
[編集] 地域リーグへの降格
日本フットボールリーグと地域リーグとの入れ替えは2002年シーズンからはじめられた。それまでの日本フットボールリーグは拡大を続けており、日本フットボールリーグへ昇格するチームはあっても日本フットボールリーグから降格するチームは無かった。リーグ残留についてのレギュレーションについては年毎によって変化が見られるが、凡そ下位2チームが地域リーグへ自動降格するレギュレーションとなっている。2007年からは日本フットボールリーグ年間17位と18位のチームは自動的に地域リーグへ降格する。また日本フットボールリーグ年間16位のチームは入れ替え戦へまわることになる。
また降格以外に日本フットボールリーグから姿を消したケースも存在する。ジヤトコFCが2004年シーズンを最後に廃部になったのと、国士舘大学サッカー部が部員の不祥事により、日本フットボールリーグからの脱退の申し出(実際はサッカー協会からの実質的な追放処分)を受けたもの、最後に佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの合併で1チームに統合された3例である。
[編集] 戦績
年 | 優勝 | 準優勝 | Jリーグへの参加 | 地域リーグからの昇格 | 下部リーグへの降格・脱退 |
---|---|---|---|---|---|
1999 | 横浜FC | 本田技研 | 水戸 | 横河電機 | なし |
2000 | 横浜FC | 本田技研 | 横浜FC | 栃木SC、静産大 アローズ北陸、FC KYOKEN |
なし |
2001 | 本田技研 | 大塚FC | なし | 佐川東京、YKK FC、SC鳥取 愛媛FC、NTT西日本熊本 |
なし |
2002 | ホンダFC | 佐川東京 | なし | 佐川大阪、プロフェソール宮崎 | 静産大、アルエット熊本 プロフェソール宮崎 |
2003 | 大塚FC | ホンダFC | なし | 佐川印刷 | ジヤトコFC、FC京都BAMB1993 |
2004 | 大塚FC | ホンダFC | 大塚→徳島、ザスパ草津 | ザスパ草津、ホリコシ | 国士舘大 |
2005 | 愛媛FC | YKK AP | 愛媛FC | 流経大、三菱水島、ホンダロック | なし |
2006 | ホンダFC | 佐川東京 | なし | ジェフ・クラブ、ロッソ熊本 FC琉球 |
佐川東京 佐川大阪(共に合併に伴うもので佐川急便SCとしては残る)、ホンダロック |
2007 | TDK、FC岐阜 |
- 細かなレギュレーションについては試合方式の項を参照
[編集] 参加チーム
[編集] 2007年シーズンの参加チーム
- ロッソ熊本(2001年はNTT西日本熊本FC、2002年はアルエット熊本として、2006-)
- TDKサッカー部 (2007-)
- ソニー仙台サッカー部(1999-)
- 流通経済大学サッカー部(2005-)
- 栃木サッカークラブ(2000-)
- アルテ高崎(2004- 2005年までは群馬FCホリコシ→FCホリコシ)
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(2006- 2006年ジェフ・クラブ)
- 横河武蔵野フットボールクラブ(1999- 2002年までは横河電機)
- アローズ北陸(2000-)
- YKK APサッカー部(2001- 2003年まではYKKサッカー部)
- ホンダFC(1999- 2001年までは本田技研)
- FC刈谷(1999- 2005年まではデンソーサッカー部)
- FC岐阜(2007-)
- 佐川急便サッカークラブ(2007- 2007年佐川急便東京、佐川急便大阪合併)
- 佐川印刷サッカー部(2003-)
- ガイナーレ鳥取(2001- 2006年まではSC鳥取)
- 三菱水島FC(2005-)
- FC琉球(2006-)
[編集] 過去の参加チーム
- 水戸ホーリーホック(1999)→Jリーグへ
- ザスパ草津(2004)→Jリーグへ
- 国士舘大学サッカー部(1999-2004)
- 佐川急便東京サッカー部(2001-2006 2001年は佐川急便SC 2007年合併)
- 横浜FC(1999-2000)→Jリーグへ
- ジヤトコFC(1999-2003 1999年はジャトコFC、2000-2001年はジヤトコ・トランステクノロジー)
- 静岡産業大学サッカー部(2000-2002)
- FC京都BAMB1993(2000-2003 2000年はFC KYOKEN、2001年はFC KYOKEN京都)
- 佐川急便大阪サッカー部(2002-2006 2007年合併)
- 大塚製薬サッカー部(1999-2004)→Jリーグへ
- 愛媛FC(2001-2005)→Jリーグへ
- プロフェソール宮崎(2002)
- ホンダロックサッカー部(2005-2006)
[編集] レギュレーション
[編集] 参加条件
参加できるのは日本サッカー協会第1種登録チーム(社会人、地域クラブ、大学など)である。又、日本サッカー協会により、日本フットボールリーグに参加するチームは、試合会場として5,000人以上収容可能で、尚且つ有料試合が開催できる規模のスタジアムを用意することを奨励されている。又、原則として日本サッカー協会公認A級指導者ライセンス以上の者を監督として用意する必要がある。
[編集] 日本フットボールリーグへの昇格
日本フットボールリーグへの昇格は、全国に9つある地域リーグで優勝若しくは2位までに入り(昇格枠が2つ用意される地域は、前シーズンの地域リーグ決勝大会の成績が考慮された結果適当と認められた地域のみ)、毎年11月から12月にかけて行われる「全国地域リーグ決勝大会」で所定の順位以内に入る必要がある。
- 詳しくは全国地域リーグ決勝大会の項を参照されたい。
2006年までは、日本フットボールリーグ下位チームとの入れ替え戦で勝ち上がらなければならない場合があった。このあたりのレギュレーションは一定しておらず、年毎にかなりの変化が見られる。Jリーグ昇格チームの出現やチームの廃部によって日本フットボールリーグからの撤退などのチーム数に増減が発生した場合などによって大きく左右された。
2007年からは地域リーグ決勝大会1位と2位のチームは日本フットボールリーグへの自動昇格、またこれまで日本フットボールリーグ昇格の権利のなかった3位のチームも日本フットボールリーグ16位とホーム&アウェイの入れ替え戦を行うことになった。
ちなみに、2006年は、佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCが合併することにより、日本フットボールリーグ年間17位は、残留、全国地域リーグ決勝大会で1位のチームは、自動昇格になり、2位のチームは、日本フットボールリーグ年間18位のチームと入れ替え戦を行う。
[編集] 大学チームの扱い
大学チームはジャパンサッカーリーグ時代の1998年シーズンから試験的に国士舘大学サッカー部が参加していた。このテストの結果を受けて1999年シーズンの第1回日本フットボールリーグ開幕以後、大学サッカー連盟の推薦を得れば出場することが可能とするレギュレーションが定められた。
過去には他に静岡産業大学サッカー部(2000年-2002年)が参加した事例があり、現在は流通経済大学サッカー部が2005年シーズンから参加している。なお入れ替え戦で敗れた大学チームは成績上は降格となるが、地域社会人リーグには参加しない。また翌シーズンも参加希望があれば地域リーグ決勝大会への参加ができる。なお大学チームは各地域ごとの大学リーグや全日本大学サッカー選手権大会などの兼ね合いで大学リーグに参加するチームとは別に日本フットボールリーグ用のチームを編成する場合がある。
[編集] 試合方式
2回戦ホームアンドアウェーの総当りリーグ戦で、90分引き分けありのルールで試合が行われる。勝ち点は勝ち3点、引き分けは双方1点、負け0点。最終的に勝ち点の多いチームが優勝である。同点の場合、得失点差→総得点→直接対決成績→決定戦の順で決定する。(なお決定戦は主催者が特に必要と認めた場合=例:自動降格、あるいは入れ替え戦出場チーム決定の場合などに限って行う。行わない場合2004年シーズンまでは抽選で順位を決定したが2005年シーズンからは同順位とする。)
過去の試合方式においては第1回となる1999年シーズンは3回戦の総当たり戦で、第4回となる2002年シーズンは2002年ワールドカップ日韓大会の影響でスケジュールの確保が難しいことから1回戦のみの総当たり戦で行われた。試合の決着方法については、第1回の1999年シーズンと第2回の2000年シーズンにVゴール方式の決着方法を採用していたが、第3回の2001年シーズン以降は現在のレギュレーションを採用している。
便宜上、1回ずつの総当り(17試合)を前期と後期に分けているが、順位などは2回総当りの通年制となっている。
[編集] 強化費
1999年以降、日本フットボールリーグでは賞金に代わる強化費を支給している。
- 1999年-2001年は1回の総当りごとに成績上位チームに支給していた。
- 2002年-2003年は実業団(企業)チーム、クラブチーム、大学生チームとに分けて、それぞれのカテゴリーの年間成績に応じた強化費が支給されている。またこれとは別に各試合の勝利チーム賞(ホーム勝ち150,000円、アウェー勝ち100,000円、引き分けは双方に75,000円)が用意されたが、2003年シーズンはこれに代えて各試合の得点1につき10,000円を贈呈した。
- 更に2004年シーズンからはこれまでの支給方式を全面的に見直して、ホーム・アウェーを問わず勝利チームに100,000円、また前年に続き得点1につき10,000円の強化費支給が行われている。これとは別に引き分けゲームでも内容のいい試合をしたチームにはグッドチーム賞50,000円(2チームの場合は25,000円)を支給していたが、これはこのシーズンのみで廃止された。
[編集] 天皇杯シード
天皇杯全日本サッカー選手権大会へは前期リーグ戦終了時の前期1位のチームがシード権を獲得し、都道府県予選を免除して3回戦から参加することが出来る。(2004年は上位3チーム、2005年は上位2チーム、2006年は上位1チーム)
[編集] 大会の主催・協賛団体
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
- 日本フットボールリーグサイト
- 週間JFLニュース(ファン主催のJFL情報サイト)
- 羽が丘データスタジアム(日本フットボールリーグの詳細なデータ記載)
- Applecustard's Valcony(JFLのコーナーにJFLのデータを記載)
- Football Information of Japan (Jリーグ、地域リーグも網羅)
- Jリーグ公式サイトからJリーグとJFLの位置づけの説明
- スポーツ報知の日本フットボールリーグの過去の戦績をまとめたページ
日本フットボールリーグ(JFL) 2007 |
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TDKサッカー部 | ソニー仙台サッカー部 | 流通経済大学サッカー部 | 栃木SC | アルテ高崎 | ジェフリザーブズ 横河武蔵野フットボールクラブ | ホンダFC | FC刈谷 | FC岐阜 | YKK APサッカー部 | アローズ北陸 |
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