土屋文明
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土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年9月18日 - 1990年12月8日)は、歌人・国文学者。
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[編集] 経歴
群馬県群馬郡群馬町(現・高崎市)出身。幼少期に育てられた伯父に俳句を教わり、旧制高崎中学(現・群馬県立高崎高等学校)在学中から蛇床子の筆名で俳句や短歌を『ホトトギス』に投稿。卒業後に恩師の紹介により伊藤左千夫を頼って上京し、短歌の指導を受け『アララギ』に参加。更に、第一高等学校を経て東京帝国大学に進学。東大在学中には芥川龍之介・久米正雄らと第三次『新思潮』の同人に加わり、井出説太郎の筆名で小説・戯曲を書いた。
1917年に『アララギ』選者。教師生活の傍ら作歌活動を続け、1925年に第一歌集『ふゆくさ』を出版。1930年には斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引き継ぎ、アララギ派の指導的存在となる。戦後は1953年に日本芸術院会員になり、1984年に文化功労者、1986年に文化勲章を受章。没後、従三位に叙された。
万葉集の研究でも知られ、『万葉集年表』・『万葉集私注』などの著作がある。
[編集] 代表歌
- この三朝あさなあさなをよそほいし睡蓮の花今朝はひらかず (『ふゆくさ』「睡蓮」1909年)
- 親しからぬ父と子にして過ぎて来ぬ白き胸毛を今日は手ふれぬ (『往還集』「父なほ病む」1929年)
- 青き上に榛名をとはのまぼろしに出でて帰らぬ我のみにあらじ (『青南集』1960年)
- 終りなき時に入らむに束の間の後前ありや有りてかなしむ (『青南後集』「束の間の前後」1982年)
- 相共に九十年をめざしつつ早くも君はたふれ給ふか (『青南後集以後』「上村孫作遺歌集を見て」1990年、遺作)
[編集] 文学碑
[編集] 関連著作物
- 『うた 土屋文明』(上毛新聞社) - 著者・小市巳世司。アララギ最後の発行者でもある歌人・小市巳世司が土屋文明の一万数千首にのぼる短歌作品の中から101首を選び、解説を付したもの。(ISBN 4-88058-660-9)
- 『歌人 土屋文明 ~ひとすじの道』(塙書房) - 土屋文明記念文学館編。小市巳世司をはじめとする歌人、研究者による土屋文明の評伝。(ISBN 4-8273-4072-2)