群馬郡
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群馬郡(ぐんまぐん)は、群馬県にあった郡である。人口22,303人、面積93.59km²。(2004年6月30日)
消滅前日(2006年9月30日)の時点で、以下の1町を含んでいた。
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[編集] 歴史
飛鳥藤原宮出土の木簡に、「上毛野国車評」と書かれたものが見つかっている。群馬はもともと、上毛野国(後の上野国)の評(後の郡)としてある「車(くるま)」という地名であった。
後、評が郡に変わって車郡になってから、和銅6年(713年)に好字二字で地名を表すことになったとき、群馬郡(くるまのこおり、くるまぐん)に改名されたと推測されている。字の選択にあたっては、この辺りが馬産地であったことが考慮されたと思われる。
「ぐんま」の読みは後になって生まれたもので、「くるま」は江戸時代まで使われていた。「ぐんま」に確定したのは明治時代からである。
明治11年(1878年)に、利根川を境に東群馬郡と西群馬郡に分割された。東群馬郡の面積は小さく、明治29年(1896年)に南勢多郡に統合され勢多郡となった。このとき同時に西群馬郡と片岡郡が統合して群馬郡と改称した。昭和24年(1949年) に、群馬郡から北群馬郡が分立した。
2006年10月1日、榛名町が高崎市に編入したため群馬郡は消滅した。尚、1878年以前の郡域で行くと北群馬郡と吾妻郡高山村の区域しか残っていない。
[編集] 沿革
[編集] 群馬郡(~1878年)
[編集] 群馬郡(1896年~2006年)
- 1896年4月1日 - 西群馬郡・片岡郡が合併し発足。(6町33村)
- 1900年4月1日 - 高崎町が市制施行し、高崎市となり郡より離脱。(5町33村)
- 1905年4月1日 - 室田村が町制施行し室田町となる。(6町32村)
- 1921年4月1日 - 箕輪村が町制施行し箕輪町となる。(7町31村)
- 1927年4月1日 - 塚沢村・片岡村が高崎市に編入。(7町29村)
- 1939年10月1日 - 佐野村が高崎市に編入。(7町28村)
- 1949年10月1日 - 渋川町・伊香保町・金島村・古巻村・豊秋村・駒寄村・明治村・桃井村・長尾村・白郷井村・小野上村の2町9村が北群馬郡として分立。(5町19村)
- 1951年4月1日 - 六郷村が高崎市に編入。(5町18村)
- 1954年4月1日 - 総社町・東村・元総社村が前橋市に編入。(4町16村)
- 1955年1月20日(4町13村)
- 清里村、新高尾村の一部(鳥羽)が前橋市に編入。
- 中川村、新高尾村の残部が高崎市に編入。
- 1955年2月1日(4町13村)
- 室田町が碓氷郡里見村と合併し、榛名町が発足。
- 倉田村が碓氷郡烏淵村と合併し、倉淵村が発足。
- 1955年3月1日 - 久留馬村が榛名町に編入。(4町12村)
- 1955年4月1日(4町9村)
- 1955年8月1日 - 長野村が高崎市に編入。(4町8村)
- 1956年9月30日(4町6村)
- 大類村が高崎市に編入。
- 滝川村・京ヶ島村が合併し、群南村が発足。
- 1957年3月30日 - 相馬村の一部(広馬場)が北群馬郡桃井村と合併し、北群馬郡桃井村が発足、郡より離脱。相馬村の残部(柏木沢)は箕郷町に編入。(4町5村)
- 1957年4月1日 - 上郊村が群馬町・箕郷町に分割編入。(4町3村)
- 1957年8月1日(4町2村)
- 1957年10月15日 - 群南村の一部(板井)が佐波郡玉村町に編入。
- 1963年3月31日 - 倉賀野町が高崎市に編入。(3町2村)
- 1965年9月1日 - 群南村が高崎市に編入。(3町1村)
- 1996年7月1日 - 倉淵村が倉渕村に改称。
- 2006年1月23日 - 箕郷町・群馬町・倉渕村が高崎市に編入。(1町)
- 2006年10月1日 - 榛名町が高崎市に編入。同日群馬郡消滅。