シンエイ動画
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シンエイ動画株式会社(-どうが、英語表記:SHIN-EI ANIMATION co., Ltd,)は、アニメーションの企画・制作を主な事業内容とする日本の企業である。
東映動画(後の東映アニメーション)から独立したアニメーター楠部大吉郎に東京ムービーが製作委託をして1965年に設立されたAプロダクション(えープロダクション、以下Aプロ)がその前身である。作品の質もさることながら、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など長寿ヒット作も数多く存在する。
種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 | 188-0011 東京都西東京市田無2-14-15 |
設立 | 1976年9月9日(シンエイ動画株式会社として) |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | アニメーションの企画・制作 |
代表者 | 楠部三吉郎(代表取締役社長) |
資本金 | 100,000,000円 |
従業員数 | 70名(2006年4月現在) |
主要株主 | 株式会社テレビ朝日 |
関係する人物 | スタッフ項目参照 |
外部リンク | http://www.shin-ei-animation.jp/ |
特記事項:日本動画協会正会員 |
目次 |
[編集] 沿革
[編集] Aプロダクション時代
人形劇団出身者によって創立された東京ムービーが制作能力体勢を固めようと、藤岡豊が東映動画の楠部大吉郎に声をかけたのが創立のきっかけである。その背景には、虫プロダクションの『鉄腕アトム』によるテレビアニメ時代の幕開けがあった。楠部大吉郎は東映動画の新人アニメーターだった芝山努、小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫、森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなった。こうして営業は東京ムービーが担当する形で、有限会社Aプロダクションは渋谷区代々木に1965年に発足。楠部の弟の三吉郎はサラリーマンから転身して制作管理スタッフとして兄を支えた。東映動画は、長編制作体制から新人を中心としたテレビアニメ制作体制へ移行して、東映動画の中堅スタッフだった小山礼司、吉田茂承、大塚康生、宮崎駿、高畑勲、小田部羊一らが続々とAプロへ移籍し、これら東映動画移籍組と、定期採用によって育成された新人がAプロのスタッフの中心となって力を発揮した。
Aプロは、『オバケのQ太郎』、『巨人の星』、『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(通称旧ルパン)、『ど根性ガエル』、『天才バカボン』など多くの作品を手がけ、当時の東京ムービー作品の実制作の中核を担い、数多くの著名なアニメーターやアニメ監督を輩出した。
作画、演出スタッフの他に美術部門、仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていたAプロだったが、1974年に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、さらに営業の責任を持つ東京ムービーの藤岡豊社長が日本市場への関心を失ってアメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少。経営の危機を迎えたことで、実制作のみの体制に限界を感じた楠部は、自社で企画・制作をする会社にする為に、1976年の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。1976年9月9日に社名をシンエイ動画株式会社と改め、社屋を田無市(現在の西東京市)北原町に移転、再出発した。このときに、仕上げ部門を切り離し、作画スタッフも大幅に削減して、経営をスリム化している。このときに独立した作画スタッフが設立したのが亜細亜堂、あにまる屋(現・エクラアニマル)などのスタジオである。なお、小山礼司が率いた美術部門は、小山が独立した形で早くに廃している。又Aプロがシンエイ動画として独立した記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を藤岡豊から譲渡されたという逸話がある。
Aプロダクションの名前の由来は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」というのが楠部大吉郎の弁である。
[編集] シンエイ動画時代
東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年に当時事実上の失敗作とされていたアニメ作品『ドラえもん』を苦心の末、再アニメ化にこぎ着ける事が出来た。このシンエイ版『ドラえもん』の大成功が同社の経営を支えた。
そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品やコロコロコミック連載作品などをアニメ化し、テレビ朝日系を中心に放映された。その中にはしばしばPTAなどから批判の対象になった作品も少なくないが、いずれも人気長寿作品となっている。1992年には西東京市田無町に現在の社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは、同社の経営を支えたドラえもんに感謝を込めて『ドラえもんビル』という愛称がある。
協力会社やフリーでの参加も数多く、Production I.Gやスタジオディーン、京都アニメーションなど、国内有数のアニメ制作会社とベテラン演出家、アニメーターがシンエイ動画作品に関わっている。その一方で、真保裕一や吉岡たかをなどといった作家も生み出している。
2003年1月にはテレビ朝日がシンエイ動画の10%の株を引き受ける資本提携を果たした。その後もテレビ朝日系を中心に多くのファミリーアニメを制作し、旧作品はSKY PerfecTV!の「テレ朝チャンネル」の「シンエイアニメシアター」で放送されるという良好な関係となっている。
同社制作の劇場アニメ作品は、藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けた形で、特に1990年代以降はドラえもんとクレヨンしんちゃんは毎年必ず長編で作られる様になっていった。映画ドラえもんのヒットを契機に総集編や短編オムニバスのアニメ映画は減少した。
設立当初のような1話分のグロス請けを行なったり、新規テレビシリーズを制作したりせず、ファミリー向け長寿作品と夏休み戦争童話集のみを制作するという体制を堅持する一方、近年は動画下請での作品参加が増加するなど、新たな動きも見られる。
[編集] 社名の由来
社名である「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「新生Aプロ」、「新しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味ではないと述べている。また発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も著書で新生Aプロという意味だと記している。しかし、設立時のメンバーの一人である別紙壮一は新Aという意と新鋭をかけたと証言している。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている。
[編集] シンエイアニメシアター
2002年にSKY PerfecTV!に開局した「テレ朝チャンネル(当初はファボリTV)」に設けられたシンエイ動画の旧作品を放映する枠。しかし、予告編のカットやオープニング映像の差し替え、スタッフクレジットの省略が多い。そして極一部であるが、未だ放映されてないスペシャルものや劇場版、レギュラー作品がある。とはいえ、地上波で殆ど再放送されなくなっていた旧作品を放送し、古くからのファンから概ね好評を得ている。
[編集] 作品一覧
[編集] 現在放映中
[編集] 制作進行中
[編集] 過去に放映された作品
[編集] Aプロダクション時代
- オバケのQ太郎(1965年~1967年)
- コメットさん[第1期(ドラマ)](1967年~1968年、実写合成(アニメ作画担当))
- パーマン(1967年~1968年)
- 怪物くん(1968年~1969年)
- 巨人の星(1968年~1971年)
- ウメ星デンカ(1969年)
- ムーミン(1969年、1~26話まで)
- アタックNo.1(1969年~1971年)
- 珍豪ムチャ兵衛(1969年)
- 新・オバケのQ太郎(1971年~1972年)
- 天才バカボン(1971年~1972年)
- ルパン三世(1971年)
- 赤胴鈴之助(1972年)
- ど根性ガエル(1972年~1974年)
- 荒野の少年イサム(1973年~1974年)
- 侍ジャイアンツ(1973年~1974年)
- 空手バカ一代(1973年~1974年)
- エースをねらえ!(1973年~1974年)
- ジャングル黒べえ(1973年)
- 柔道讃歌(1974年)
- はじめ人間ギャートルズ(1974年~1976年)
- ガンバの冒険(1975年)
- 元祖天才バカボン(1975年~1976年)
※「パーマン」「怪物くん」「ウメ星デンカ」はスタジオ・ゼロと交代で制作。
[編集] シンエイ動画時代
- 日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ(1979年)
- 怪物くん[新](1980年~1982年)
- 忍者ハットリくん(1981年~1987年)
- ゲームセンターあらし(1982年)
- フクちゃん(1982年~1984年)
- パーマン[新](1983年~1985年)
- オヨネコぶーにゃん(1984年)
- プロゴルファー猿(1985年~1988年)
- オバケのQ太郎[新](1985年~1987年)
- エスパー魔美(1987年~1989年)
- ウルトラB(1987年~1989年)
- つるピカハゲ丸くん(1988年~1989年)
- 新プロゴルファー猿(1988年)
- ビリ犬(1988年~1989年)
- 美味しんぼ(1988年~1992年)
- おぼっちゃまくん(1989年~1992年)
- ビリ犬なんでも商会(1989年)
- 笑ゥせぇるすまん(1989年~1992年)
- チンプイ(1989年~1991年)
- ガタピシ(1990年~1991年)
- 夢魔子(1990年)
- 八百八町表裏 化粧師(1990年)
- どろろんぱっ!(1991年)
- 21エモン(1991年~1992年)
- さすらいくん(1992年)
- 忍ペンまん丸(1997年~1998年)
- ヨシモトムチッ子物語(1998年)
- 週刊ストーリーランド(1999年~2001年)
- 激動!歴史を変える男たち ~アニメ静岡県史~(2000年)※静岡朝日テレビのみ放送
- ジャングルはいつもハレのちグゥ(2001年)
[編集] TVスペシャル
- ドラ・Q・パーマン(1980年、ドラえもんの特番枠で放映)
- プロゴルファー猿(1982年)
- 三国志(1985年)
- Mr.ペンペン(1986年)
- Mr.ペンペンII(1986年)
- 三国志II 天翔ける英雄たち(1986年)
- 呪いのワンピース(1992年)
- 美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決(1992年)
- 笑ゥせぇるすまんスペシャル(1992年)
- 笑ゥせぇるすまん 春の特大号(1993年)
- 笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号(1993年)
- 美味しんぼ 日本コメ戦争(1993年)
- 景山民夫のダブルファンタジー(1994年)
- 中崎タツヤ ギャグシアター(1994年)
- 中崎タツヤ ギャグシアターII(1995年)
- 戦争童話集シリーズ(野坂昭如原作より)
-
- ウミガメと少年(2002年)
- 凧になったお母さん(2003年)
- 小さな潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話(2004年)
- ぼくの防空壕(2005年)
- 焼跡の、お菓子の木(2006年)
[編集] グロス請け・動画下請など
- おれは鉄兵(1977年、企画:日本アニメーション、制作担当)
- まんが日本昔ばなし(1977~1983年、グループ・タック、制作協力)
- 一球さん(1978年、日本アニメーション、制作協力)
- 野球狂の詩(1978年、日本アニメーション、制作協力)
- はだしのゲン2(1987年、ゲンプロダクション・マッドハウス、動画下請)
- 風人物語(2004年、Production I.G、動画下請)
- 獣王星(2006年、BONES、動画下請)
- BLOOD+(2006年、Production I.G、動画下請)
- くじびき♥アンバランス(2006年、亜細亜堂、動画下請)
- 鉄コン筋クリート(2006年、STUDIO 4℃、動画下請)
[編集] 劇場用
※複数年に渡り上映されている作品はリンク先を参照の事。
[編集] Aプロダクション時代
- 喜劇 駅前漫画(1966年、東京映画。実写合成(アニメ作画担当))
- 巨人の星(1969年~1970年、TVシリーズ再編集)
- アタックNo.1(1970年~1971年、TVシリーズ再編集)
- パンダコパンダ(1972年)
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973年)
[編集] シンエイ動画時代
- ドラえもん(1980~2004年、2006年~)
- 怪物くん(1981~1982年)
- 21エモン 宇宙へいらっしゃい!(1981年)
- ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ(1981年)
- 忍者ハットリくん(1982~1983年)
- パーマン(1983年、2003年~2004年)
- 忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ(1984年)
- 忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵(1985年)
- プロゴルファー猿(1986~1987年)
- オバケのQ太郎 (1986~1987年)
- エスパー魔美 星空のダンシングドール(1988年)
- ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B!(1988年)
- ドラミちゃん(1989年、1991年、1993年~1994年)
- チンプイ エリさま活動大写真(1990年)
- 少年時代(1990年、『「少年時代」製作委員会』として参加。実写作品)
- 21エモン 宇宙(そら)いけ!裸足のプリンセス(1992年)
- クレヨンしんちゃん(1993年~)
- ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン!(1994年)
- ザ・ドラえもんズ(1996~2002年)
- ドラえもん 感動シリーズ(1998~2002年)
- あたしンち(2003年)
[編集] OVA・その他
- 草原の子テングリ(1977年、桜映画社) ※雪印乳業のPR用映画。原案・手塚治虫
- ドラえもん 勉強部屋のつりぼり(1978年) ※パイロット版。後に特番でテレビ放映。雑誌「ぼくドラえもん」の付録DVDに収録
- ドラえもん ケンちゃんの冒険(1981年、全国心身障害児福祉財団)※ホール上映。後に特番でテレビ放映
- 交通安全だよドラえもん(1981年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん(1983年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん[パートII](1989年、防災アニメ)
- エスパー魔美 パイロット版(198?年) ※予告でいくつかのシーンが使用された
- ジャングルはいつもハレのちグゥ パイロット版(????年)※後にDVD特典映像として収録
- ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス(2002~2003年、OVA)
- ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL(2003~2004年、OVA)
- 財津和夫「それがボクのおとうさん」(1997年、NHK「みんなのうた」)
[編集] 主なスタッフ
[編集] 所属スタッフ
[編集] OB(Aプロダクション)
※旧ルパン後半の演出を担当した『Aプロ演出グループ』とは高畑と宮崎の二人。
[編集] OB(シンエイ動画)
[編集] 主要取引会社及び作品参加プロダクション
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[編集] 作品参加フリースタッフ
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[編集] 参考資料
- 『アニメージュ』(1985年1月号、徳間書店) - Aプロダクション特集。楠部大吉郎インタビュー。
- 大塚康生『作画汗まみれ 増補改定版』(2001年、徳間書店)
- 大塚康生『リトル・ニモの野望』(2004年、徳間書店)