在樺コリアン
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在樺コリアンとは、太平洋戦争(大東亜戦争)終了後に、ソビエト連邦の支配下に置かれた樺太(サハリン)に残留せざるを得なくなった朝鮮民族のことである。
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[編集] 背景
朝鮮半島を日本が統治していた時代に、朝鮮民族の人々も労働者として樺太へ徴用(いわゆる強制連行)された。彼らは、戦後ソ連が樺太を占領したこと、祖国が米ソによって南北に分断されたことなどから、樺太に残留せざるを得なくなった。これにより無国籍となった人々もいる。
[編集] その後の経緯
- 1975年12月 高木健一を初めとする弁護士らを代理人とし、4人の在樺コリアンを原告とする樺太残留者帰還請求訴訟 (いわゆるサハリン裁判)が提起される。
- 1989年7月 大韓赤十字社と日本赤十字社との間で、在サハリン韓国人支援共同事業体が設立され、韓国への一時帰国支援、永住帰国支援等の事業を実施される。
- 2006年 同事業により、樺太に留まる韓国国籍の人々(のみ)のために、ユジノサハリンスクにサハリン韓国文化センターが建設される。
しかしながら上記の事業に対しては批判も少なからず存在しており、また現在もなお祖国に帰れない人々が存在しているのも事実である。さまざまな理由から、帰還運動は近年ますます盛んとなっている。
参考リンク
- 稲継靖之「サハリン朝鮮人棄民問題について―問われる日本の戦後処理」2003年1月。
- 「サハリン同胞の永住帰国実現」 在日本大韓民国民団、2002年2月23日。
- 「サハリン同胞慰労 会館完成記念コンサート」 在日本大韓民国民団、2006年11月15日。
[編集] 参考資料
- Корейцы на Сахалине(『サハリンにおける高麗人』、ゲルマン・キム)