坂井義則
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坂井 義則(さかい よしのり、1945年8月6日 - )は日本の元陸上選手。東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。
広島市への原子爆弾投下の1時間半後に広島県三次市にて出生した。広島県立三次高等学校在学中の1963年、第19回国民体育大会400mで優勝、東京オリンピックへの出場を目指し、1964年早稲田大学に入学した。大学では競走部に所属、監督の中村清の指導を受ける。東京オリンピックの400mと1600mリレーで強化選手に指名されたが代表選考会で敗退、失意の底にあったが、組織委員会は広島への原爆投下の日に生まれた坂井を聖火最終ランナーに選抜した。開会式当日、国立霞ヶ丘競技場の千駄ヶ谷門で聖火を受け取り、トラックを半周したあと、聖火台までの163段の階段を昇った。100743人目のランナーであった。その後、400mと1600mリレーで活躍、1966年のバンコクアジア大会では1600mリレーで優勝、400mでも銀メダルを獲得した。オリンピックへの出場歴はない。1968年にフジテレビに入社、主にスポーツと報道分野を担当したが、2005年定年退職した。
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