坂本スミ子
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坂本 スミ子(さかもと すみこ、本名石井 寿美子、旧姓坂本。1936年11月25日 - )は、大阪府大阪市東住吉区生まれ。ラテン・歌謡曲の歌手、俳優。大阪プール女学院高等部卒業。愛称は「おスミさん」、「おスミ」。また「ラテンの女王」の異名も持つ。娘は歌手の石井聖子。
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[編集] 略歴
私生児として生まれ、大変な差別を受けながら育つ。そんな中、女手一つで坂本を育てた母は、大変な苦労をしながらも、名門プール女学院へ入学させ、坂本が好きだった音楽も、クラシックの木下保のもとで学ばせた。
高等部卒業後、NHK大阪合唱団を経て、大阪キューバン・ボーイズの近藤正春の勧めもあり、ラテン歌手として独立、デビュー。しかし、全く売れず、自殺未遂を図ったこともあった。
1959年(昭和34年)12月、アイ・ジョージと共に、トリオ・ロス・パンチョスの日本公演の前座歌手となり、一躍名が知れ渡り、人気歌手への階段を上る。宝とも子らと共に「ラテンの女王」の異名を取った。
1961年(昭和36年)から始まった「夢であいましょう」では主題歌も歌った。
NHK紅白歌合戦には1961年から1965年(昭和40年)まで5回連続出場。
1964年から1967年、大映で田宮二郎主演の犬シリーズに助演。
私生活ではこの頃、映画評論家でもあり、当時人気司会者であった栗原玲児と結婚するも、1966年(昭和41年)離婚。この時、栗原が坂本側に離婚原因があるという発言を繰り返したことから、発言するつもりは一切無かった坂本側が反論。当時大いに話題になった。この時坂本が言った「玲児はんはホモやったんや」は流行語となった。
離婚理由は双方多忙ですれ違い生活が続いていた上、セックスレスであったこともあるが、決め手は栗原側から「別れてくれ」と言われたことであるとされる。坂本は結婚後、栗原が同性愛者だということに気付き、それでも懸命に尽くしたが、結局ダメだった。離婚の際には「どちらも至らなかった」ということにしようと双方言いあっていたが、当時テレビ番組の人気司会者であった栗原はイメージ低下を恐れ、前言撤回し、坂本を批判し同情票を買おうとした。坂本側の反論で栗原のイメージは低下し、栗原は表舞台から姿を消した。
なお、栗原玲児の現在の妻は料理研究家の栗原はるみである。
女優としても活躍しており、今村昌平映画の常連であり、その演技も歌同様評価されている。
昭和41年、「"エロ事師たち"より 人類学入門」で、毎日映画コンクール助演女優賞獲得。
昭和46年、ソニー移籍第一弾である「夜が明けて」がヒット。歌手として一線に返り咲く。続いて「浮雲」もスマッシュ・ヒット。
昭和48年には、再婚相手である石井禮次郎(皮膚科医、石井クリニック院長)との子である石井聖子を出産。 第4回東京音楽祭で、シルバーカナリー賞、外国審査団賞獲得。 (歌唱曲は「幼い子供のように」)
昭和51年、ポール・モーリア作曲の「オーララ・オーサカ」が話題を呼ぶ。
昭和57年、ミュージカル「キャバレー」で1982年度芸術祭優秀賞受賞。
昭和58年、主演映画「楢山節考」が第36回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。これは出品に消極的だった監督の今村昌平を坂本とプロデューサーが説得して、やっと出品にこぎつけた結果だった。またこの時、大島渚の「戦場のメリークリスマス」も出品されており、下馬評ではこちらが本命と言われていた。大島渚もビートたけしも自身満々だっただけに落胆は激しかった。 しかし、カンヌ女優となり帰国した坂本を待ち構えていたのは、カンヌの吉報についての取材ではなく、吉報直後に判明した大麻を友人に譲渡したという疑惑についての取材だった。 この空港での坂本と取材陣のやり取りは半ば伝説と化しており、長い間ワイドショーの回顧番組で流されるVTRの定番だった。坂本はこの事件で、一時表舞台から姿を消した(後日書類送検されている)。
現在は、夫の母の後を継ぎ、聖母保育園幼稚園(熊本県熊本市)・園長となり、園長の傍ら、歌手/女優業を続けている。
[編集] 紅白歌合戦出場歴
[編集] テレビ
- 夢であいましょう(NHK)…主題歌も担当
- コメットさん(TBS)
- 道頓堀 (YTV)…主題歌も担当
- 繭子ひとり(NHK)
- 想い出づくり(TBS)
- 白い巨塔(テレビ朝日)
- 琉球の風(NHK)
- 日輪の翼(NHK)
[編集] 映画
- "エロ事師たち"より 人類学入門(1966・日活)
- 楢山節考(1983・東映)
- 「犬」シリーズ(1964~1967・大映)
[編集] 代表曲/持ち歌
- エル・クンバンチェロ
- マラゲーニャ
- ベサメ・ムーチョ
- アシ・アシ
- ア・ロ・ロコ
- キエン・セラ
- コパカバーナ
- アドロ
- 時計(エル・オッホ)
- コンドルは飛んでいく
- 夢で逢いましょう(「夢であいましょう」テーマ曲)
- たそがれの御堂筋
- ウナ・セラ・ディ東京(和田弘とマヒナスターズ、ザ・ピーナッツ・西田佐知子との競作)
- 夜が明けて
- 浮雲
- 幼い子供のように
- 踊って乾杯(山崎ハコ作詞/作曲)
- オーララ・オーサカ
- たそがれの御堂筋'77(ディスコアレンジ、大野雄二編曲)
- 親を眠らす子守唄(「楢山節考」主題歌)
[編集] 賞歴
- 昭和41年:毎日映画コンクール助演女優賞(「"エロ事師たち"より 人類学入門」)
- 昭和50年:第4回東京音楽祭シルバーカナリー賞、外国審査団賞
- 昭和57年:82年度芸術祭優秀賞受賞(ミュージカル「キャバレー」)
- 昭和58年:第36回カンヌ国際映画祭グランプリ(「楢山節考」)