ウナ・セラ・ディ東京
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ウナ・セラ・ディ東京(-とうきょう)は、1964年に発表された日本の歌謡曲である。
本項では前年1963年に作られ、この曲とほぼ同一の内容である「東京たそがれ」に付いても記述する。
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[編集] 概要
1963年にザ・ピーナッツが「東京たそがれ」として歌ったのが「ウナ・セラ・ディ東京」の始まりである。しかし当時はあまりヒットしなかったが、翌年「カンツォーネの女王」として有名なイタリアの歌手ミルバが来日した際、本曲を歌った事を契機に一気にブームとなった(キングレコードのスタッフがミルバの歌唱力の高さを評価した上で本曲を歌わせる事を提案したとも言われる)。ミルバの正確な日本語での歌唱も評判となった。
その後、ザ・ピーナッツの「東京たそがれ」も曲調をごく一部変更して、タイトルも「ウナ・セラ・ディ東京」に変更した(「ウナ・セラ・ディ東京」とはイタリア語で「東京のある一夜」(Una Sera di Tokio)と言う意味である)。
この頃から本曲がミルバの歌の影響からか、音楽界で再評価されることになり、遂にはザ・ピーナッツのヒット曲の一つとなっていった。
ほぼ同時期、和田弘とマヒナスターズ、坂本スミ子、西田佐知子も本曲を歌う様になり、日本でも4者競作となった。一番ヒットしたのは1964年当時は和田弘とマヒナスターズの曲であった。
本曲で岩谷時子が1964年日本レコード大賞の作詞賞を、宮川泰が同賞作曲賞を受賞している。また和田弘とマヒナスターズ盤は大賞候補にも挙がったが、結果は次点で落選している。
この他、映画ではジャニーズ&ザ・ピーナッツやザ・ピーナッツ&ジャッキー吉川とブルーコメッツとの組み合わせ(当時はコラボレーションと言う呼称は日本には存在していなかったので「組み合わせ」と記述する)で歌唱されていた事もあった。
本曲はザ・ピーナッツがNHK紅白歌合戦で3度(1964年・第15回、1969年・第20回、1973年・第24回)も歌われた曲としても有名である。この為現在ではザ・ピーナッツの歌とのイメージが浸透している。
クレージーキャッツの映画「黄金作戦」の中の劇中でザ・ピーナッツ本人が歌い、メロディ部分でクレージーのメンバーが コントをやっている。
2006年3月21日に宮川泰が逝去したが、その宮川の通夜で流された曲がこの「ウナ・セラ・ディ東京」であった。
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