坪井信良
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坪井信良(つぼい しんりょう、文政6年(1823年) - 明治37年(1904年)11月9日)は、幕末の蘭方医。幕府奥医師。初名は佐渡良益。
文政6年(1823年)、越中国高岡の医師、佐渡養順の二男として生まれる。坪井信道にオランダ医学を学び、その女婿となる。安政5年(1858年)、大槻俊斎・伊東玄朴らと図り、お玉が池種痘所設立。元治元年(1864年)11月20日、越前国福井藩医より幕府医師に登用され、奥医師となる。(将軍徳川家定の急病に際し、幕府医師に登用されたとするのは日時の誤りである。)同年11月16日、法眼に叙せらる。明治以降は東京府病院長などを勤めた。明治37年(1904年)没。染井霊園に葬る。子息、坪井正五郎は人類学者。