大分県立大分東高等学校
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大分県立大分東高等学校(おおいたけんりつ おおいたひがしこうとうがっこう)は、大分県大分市にある高等学校
大分市内における通称は「東:ヒガシ」
目次 |
[編集] 設置学科
- 普通科
- 国際コミュニケーション科 - 1995年(平成7)4月 県立普通科高校として初めて設置された専門科
[編集] 沿革
- 1920年(大正9) 1月 坂ノ市町ほか5か村組合立学校として開設
- 1953年(昭和28)4月 大分県立東豊(とうほう)高等学校として独立
- 1964年(昭和39)4月 大分県立大分東高等学校と改称
- 1979年(昭和54)4月 現在地に校舎新築、全面移転
- 1985年(昭和60)4月 大分市内普通科4校合同選抜(総合選抜)開始(大分上野丘、大分舞鶴、大分鶴崎、大分東)
- 1990年(平成2) 4月 大分市内普通科2校合同選抜開始(大分鶴崎、大分東)
- 1995年(平成7) 4月 大分市内普通科単独選抜開始 国際コミュニケーション科設置
- 2006年(平成18) 創立85周年を迎える
[編集] 教育方針
- 校訓
- 自立
- 努力
- 友愛
- 国際コミュニケーション科
- 10年間の「合同選抜」から「単独選抜」方式へ入試が移行するのに伴いそれまでの10年間で培ってきた学力レベルの低下を危惧し、また国際化の流れを鑑み設置。
- 2年生より「第2外国語」として韓国語、中国語、ドイツ語、フランス語の授業がある。これらの中から1つの言語を選択し、2年間に渡って日常会話やその国の文化を学ぶ。ドイツ語とフランス語は講師がATLであるため、基本的に英語による授業である。韓国語と中国語の講師は県内の大学院などに通う留学生が務めるため、日本語で行われる。
- 2年生の夏に行われる海外研修ではイギリスのウォリックシャーにあるレミントン・スパ近郊にホームステイする(およそ2週間)。このため1年生の段階より英語によるプレゼンテーションの授業を行う。
- 3年生では英語によるディベートの授業も行われる。
- 実績
- 英語弁論大会による表彰のみならず、日本語のエッセイコンテストや、韓国語、中国語における表彰実績がある。
[編集] 学校行事
- 文化祭 体育祭(例年9月後半に実施)
文化祭、体育祭を合わせて「東輝祭(とうきさい)」と呼び、文化祭2日間、体育祭1日間の計3日間 開催
かつては文化祭初日を終日芸術会館を借りて催すこともあった。
- 海外研修(「国際コミュニケーション科」)
2年時の夏期休暇を利用し、英国でホームステイや語学研修を約2週間行う。
[編集] 部活動 生徒会活動
- ハンドボール部(特に女子)、女子ソフトボール部
- 1970年代においては全国大会で度々優勝するなどトップレベルを誇る。
- ラグビー部
- ボランティア活動
- ボランティア活動や奉仕活動など、ボランティア委員会を中心とした学外に向けた活動が特徴。主な活動として、丹生川土手の除草作業・花植活動、最寄り駅であるJR坂ノ市駅の清掃活動など。
[編集] その地
- 制服
1995年(平成7)単独選抜開始に伴い、いわゆる学ラン・セーラー服から男女ともにブレザータイプに移行
県立高校としてはめずらしいDCブランドPERSON'Sによるデザイン
[編集] 校内の過去と現状
- 合同選抜制度による影響
1985(昭和60)年から1989(平成元)年まで行われた4校合同選抜では入学者の半数以上が本来は大分上野丘、大分舞鶴を希望していた生徒であり、制度開始当初から合同選抜が完全に廃止されるまでの長い間、民事裁判等の訴訟沙汰にまで発展するケースが多発した。
また、通学に関して坂ノ市駅から自転車通学しなければならなかった為、雨の日は、駅付近のタクシー会社から乗り合いで学校まで通学するケースもある(先輩・後輩関係なく、人数合わせして乗り込んでおり、現在でも早朝・夕方に見受けられる)。
当時の教員はこのように遠方より通学している生徒(俗に「飛ばされた」「回された」と言われていた)たちのために学力を高めさせる努力をして、当時の学力レベルは大分上野丘、大分舞鶴を凌ぐ高偏差値を維持する(同時期の大分上野丘、大分舞鶴の偏差値レベルは逆に著しく低下)。 大分県下トップクラスであった。
しかしながら進学実績では、京都大学、名古屋大学、九州大学など旧帝大への現役進学や超難関と言われる地元大分大学の推薦合格者を数多く輩出をするが、大分上野丘、大分舞鶴における有名私立大学の指定校推薦数の違いや、在学生数の少なさから対外的に高進学レベルが分かりにくい経緯があった。
- 学力の低下と著しい素行の悪化
上記の4校合同選抜が廃止された後、1990(平成2)年4月の入学学年より大分上野丘、大分舞鶴を希望していた生徒が入学して来なくなった為に学力が低下し始める。1995(平成7)年単独選抜開始に伴い学力の低下は著しいものになり、同時に2007(平成19)年に閉校する大分県立佐賀関高等学校が実質的に編入される事になる影響で、学力が低く素行の悪い生徒が多くなる。その結果、近年は陰湿ないじめや悪質な校内暴力が他の県立高校よりも非常に目立ち始め、やがて問題視される様になる。
1979(昭和54)年に大分市大字屋山の現在地に移転して以降、登下校時の自転車通学生など一部の生徒のマナーについて、地域住民からの苦情が続いてきた。交通マナーの指導や校外指導などを行ってきたが苦情が続き、1995(平成7)年以降は喫煙をしながら通学する生徒も目立つ様になったため、生徒の自尊意識と規範意識を高めるとともに地域との相互理解を深めることを目的に、2004(平成16)年度から地域の環境整備活動に取り組んでいる。2005(平成17)年度からは、2004(平成16)年度の活動を踏まえて、更に地域との連携を深めるために、地域からの要望もふまえて、坂ノ市地区の「植樹マス」の除草・植栽を地域と共同で計画的に実施している。生徒と地域住民との協働活動を通して世代間の交流を行い、地域と大分東高校との相互理解を深め、地域に貢献し地域から愛される学校づくりを目指している。2006(平成18)年度も、7月 10月、11月、12月に坂ノ市地区の植栽、除草や清掃活動を行った。
- 地域への発信
1995(平成7)年の単独選抜開始より進路希望の多様化が進み、学力の低下やいじめ・校内暴力が深刻な現状の中で、学習意欲の向上と進路保障が学校づくりの課題となり、地域との協働作業、朝読書、少人数個別指導や部活動の活性化などの取組みを進めている。
現在は、入学して来た生徒を育て自己実現をさせるために、生徒の自尊意識や規範意識、学習意欲を向上させ、生徒一人ひとりが進路達成できるように取組みを進めて来ている。また、国際コミュニケーション科では、コミュニケーション能力の向上や海外語学研修の実施や資格取得の推進に取り組んだ結果、努力の甲斐あって海外の高校への留学や海外の大学等への進学も増えつつある状況にある。また、合同選抜当時ほどでは無いものの、現在でも少人数ではあるが毎年、東京大学、九州大学等の旧帝大や早稲田大学、地元大分大学への現役進学者を輩出している。また国際コミュニケーション科の特性を生かして、立命館アジア太平洋大学へ進学する生徒も増えている。