総合選抜
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総合選抜(そうごうせんばつ)とは、公立高校の入学試験制度の一つで、私立高校や国立高校は対象範囲には入らなかった。総選(そうせん)とも略される。現在、2府県(京都府、兵庫県)の一部の学区で実施されている。最盛期には10都府県を上回る地域で実施されていた。略称は「総選」。戦後の学制改革において、小学区制・男女共学・総合選抜[1]の三点モデルとして推進された経緯がある。
総合選抜自体を学校群制度や合同選抜という名称を使用している地域もあり、制度の詳細は自治体や学区によって微妙に異なる場合が多い。
一般的には、「学校群制度」と同様に小学区制度下かそれに近い形式で行われているのが通例であるが、学校群制度よりもさらに徹底した形で学校間の選択肢を減らし代わりに全入を促進する入試形態をとるものである。また「合同選抜」は、受験生が希望校を指定し、その希望を一定程度考慮しつつ合格者を各校に振り分ける制度であり、総合選抜は、受験生による希望校の指定なしで合格者を各校に振り分ける制度である。
学校単位で選抜を行う一般的な方式は、総合選抜との対比で「単独選抜」と呼ばれる。
受験競争の緩和などを目的に制度化され、その緩和に大きく貢献したが、公立高校を自由に選べないといった反対の声も多く、私立高校や国立高校などに受験生が流出して公立高校の進学実績が落ちた地域も多々見られたため、多くの地域で廃止された。
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[編集] 選抜制度の特徴
総合選抜は、学区内の高校間の学力格差を無くす(少なくする)ことを目的としており、一般的に、学力均等方式または居住地優先方式のいずれかの方式で実施される。
通常、総合選抜が実施される地域では小規模な学区割りが行われている。
[編集] 学力均等方式
学区内の複数の高校を1つの高校とみなし、一括して願書申請させ、入試と調査書の総合成績により全体の合格者を決める。次に、総合成績順位に基づいて受験生を男女別に複数の成績群に階層化し、各高校の合格者の成績分布が均等になるように、各階層ごとに合格者をそれぞれの高校に振り分けて調整する。
[編集] 居住地優先方式
学区内の複数の高校を1つの高校とみなし、一括して願書申請させ、入試と調査書の総合成績により全体の合格者を決める。次に、各高校の周辺地域を固定区とし、隣接地域を調整区として、固定区で合格点に達した者はそれぞれの地域の高校に、調整区で合格点に達した者は居住地を勘案して隣接のいずれかの高校に振り分けて調整する。
[編集] 成績優先方式(オプション)
学区内の複数の高校を1つの高校とみなし、一括して願書申請させ、入試と調査書の総合成績により全体の合格者を決める。次に、調査書および学力試験の成績の良い合格者から順番に希望校への入学を許可する。この方式は、居住地優先方式のオプションとして、一部の成績優秀者にのみ適用される場合がある。
[編集] 総合選抜のメリットとデメリット
総合選抜は制度上のメリットとデメリットがはっきりしているが、その受け止め方は生徒個人の意識、学力、または進路などによって大きく異なり、各地で議論の対象にはなるものの、何らかの妥協点に至るケースはまれである。
[編集] メリット
一定水準以上の成績を確保していれば、ほぼ確実に地元の公立高校に進学できるため、高校入試に当たっての学習上の負担が少ない。そのため、比較的ゆとりのある中学生活を送ることができる。都市部においても、公立高校を第一志望とする受験生の半数程度はすべり止め校を受験しておらず、単独選抜学区と比較して高校入試に対する負担感は相当少ないと言える。
総合選抜地区では学区そのものが小規模であったり、居住地優先で進学高校が決められるため、自宅近くの高校に通う生徒が多い。また、学区内の高校間の学力差が少ないため、いわゆる序列がほとんど存在しない。
[編集] デメリット
一般的に、選択できる高校が非常に少ない。学区内の高校間の学力差は少ないが、1つの高校内における生徒間の学力差が非常に大きいため、落ちこぼれや浮きこぼれの生徒が単独選抜の高校よりも多い。また、総合選抜は高校入試の負担が少ない分だけ学力の低下を招き、生徒間の競争が低レベル化する傾向がある。
総合選抜は、特定の高校を受験するのではなく、学区単位で一括して合格者を決めた後に、受験者の希望、成績、および交通事情等を考慮して各高校に配分するため、どこの高校に入学を許可されるかが分からない。合格発表で泣いている生徒の多くは、合格したものの希望しない高校に回された生徒である。(かつて合同選抜(総合選抜)が実施されていた大分県では、入学者の半数以上が本来の希望校とは異なる高校に回されており、その結果、賠償問題や民事裁判にまで発展するケースが多々発生した。そのため、大分県では現在は完全に廃止されている。)
さらに、都市部や都市近郊では、学力の高い生徒や進学意識の高い生徒が総合選抜を避けて、国立や私立進学校、高等専門学校(高専)などに進学するケースが多い。
自宅から近い場所に学校があるにもかかわらず、遠方の学校に合格することがあり、大きな学区において実施する場合には、通学の負担が大きい。
[編集] 各地の状況
[編集] 山梨県
- 平成19年から全県学区制になったため廃止。
[編集] 京都府
京都市と乙訓地区(向日市・長岡京市・大山崎町)からなる京都市地域4通学圏(北・南・東・西)で実施。 報告書と学力検査の成績を基に合否が決定される。 志願者の住所から最寄の駅・バス停に基づき入学校が決定。
[編集] 兵庫県
兵庫県には16の学区があり、そのうちの5つの学区(尼崎、西宮、宝塚、伊丹、明石)が総合選抜を実施している。各学区の振り分け方式は次のとおり。
- 尼崎、西宮、宝塚学区(居住地優先方式+成績優先方式)
- 各高等学校の募集定員のうち
- 10%…志望を優先
- 90%…住居を優先
- (交通事情・特殊事情等を勘案)
- ※尼崎学区は平成20年度より廃止、西宮学区は平成21年度より廃止。
- 伊丹学区(居住地優先方式+成績優先方式)
- 各高等学校の募集定員のうち
- 35%…志望を優先
- 65%…住居を優先
- (交通事情・特殊事情等を勘案)
- 明石学区(学力均等方式)
- 志望者を19の成績群に分けて均等に配分
- (志望者数・交通事情等を勘案)
- ※平成20年度より廃止
[編集] 岡山県(現在は廃止)
- 岡山学区
- 倉敷学区
[編集] 広島県(現在は廃止)
広島県の場合、他県と比べ、古くから実施していたが、変則的であった。
- 1956年 旧広島市内普通科高5校で5校を一括で実施。
- 同時に実質的に小学区制(47学区制)から大学区制(4学区制)に移行したため(正式には1962年)通常「市内五校」と呼ばれた総合選抜実施校は、県内広範囲から受験者を集めることができ、目立った学力低下は見られなかった。
- 1976年 県内6地区で、新たに実施。大学区制(4学区制)から中学区制(14学区制)に移行。
- 大学区制による下宿生の増大などの問題を解決するため、中学区制に移行した。
- 同時に『市内五校』のほか、新たに6地区(呉・三原・尾道・福山・三次・廿日市)で実施する。
- そのうち、呉地区は三校間、三原、尾道、三次、廿日市地区では二校間でしかなかったため実質的に学校群制度と同一であった。
- さらに、中学区制移行に伴い、広島、三次地区では、学区内に総合選抜高以外に公立普通科高がなくなり、実質小学区制となった。移行措置として、各高校とも定員の10%(第4学区「市内五校」は20%)は他学区の生徒を受け入ることが可能であった。しかし、その措置も1981年からは全高校とも定員の3%に縮小、1998年に5%に再拡大するも、進学実績が徐々に振るわなくなっていった。
- 特に、県北部の進学校である三次地区の三次高校は、実質小学区制になったうえに総合選抜相手高である日彰館高校が地理的に冬季は下宿を必要とする可能性があったことや、福山地区では、総合選抜各校の距離が遠いこともあり、さらに進学実績も振るわないようになっていく。
- 1988年 福山地区(旧第9学区)総合選抜5校を6校にしたうえに(既存の福山明王台高校の総合選抜加入)東西の学校群(グループ・各3校)に分割。
- 1991年 制度下の「広島市内六校」を東西の学校群(グループ)に分割。国泰寺高校・皆実高校・基町高校は東部グループに、観音高校・井口高校・舟入高校は西部グループに各所属することになる。
- 1991年 三次地区(旧第13学区)廃止。単独選抜へ移行。
- 1998年 全地区で制度廃止され、各校毎の単独選抜制度となる。14学区制から15学区制へ移行(第3学区を2地区に分割(安芸・安佐))。
- 2003年 中学区制(15学区制)から中学区制(6学区制)に移行。学区外定員を今までの5%から30%に拡大。
- 2006年 学区制廃止。大学区制(全県1学区制)に移行。
- 大学区制(4学区制)時代(高校数など1962年発足当時・高校数に分校を含まず)
- 中学区制(14学区制)時代(高校数など1976年発足当時・高校数に分校を含まず)(但し学区外から定員の3%-20%を限度に受け入れ)
- 第1学区(旧加計町など)(普通科高数2校)
- すべて単独選抜
- 第2学区(大竹市・廿日市市・旧佐伯郡・広島市佐伯区など)(普通科高数4校)
- 第3学区(安芸郡・広島市安佐南区安佐北区安芸区など)(普通科高数5校)
- すべて単独選抜
- 第4学区(広島市中区東区南区西区)(普通科高数5校)
- 第5学区(東広島市・旧賀茂郡)(普通科高数4校)
- すべて単独選抜
- 第6学区(呉市・旧江田島町・旧音戸町など)(普通科高数8校)
- 第7学区(竹原市・旧安芸津町など)(普通科高数3校)
- すべて単独選抜
- 第8学区(三原市・尾道市・旧因島市など)(普通科高数8校)
- 第9学区(福山市など)(普通科高数7校)
- 第10学区(府中市・旧神辺町など)(普通科高数5校)
- すべて単独選抜
- 第11学区(旧世羅町・旧三和町・旧上下町など)(普通科高数3校)
- すべて単独選抜
- 第12学区(庄原市・旧東城町・旧西城町など)(普通科高数2校)
- すべて単独選抜
- 第13学区(三次市・旧吉舎町など)(普通科高数2校)
- 第14学区(旧吉田町・旧高宮町など)(普通科高数2校)
- すべて単独選抜
- 第1学区(旧加計町など)(普通科高数2校)
[編集] 長崎県(現在は廃止)
[編集] 大分県(現在は廃止)
大分県においては、中津市、別府市、大分市で合同選抜、総合選抜が実施されていたが、1995年までにすべて廃止された。なお、大分県における合同選抜は、受験生が希望校を指定し、その希望を一定程度考慮しつつ合格者を各校に振り分ける制度であり、総合選抜は、受験生による希望校の指定なしで合格者を各校に振り分ける制度である。
- 大分市
- 1951年 大分舞鶴の新設にともない2校合同選抜開始
- 1961年 合同選抜廃止
- 1973年 大分雄城台の新設にともない3校合同選抜開始
- 大分上野丘、大分舞鶴、大分雄城台
- 1983年 大分南の新設にともない4校合同選抜に再編
- 大分上野丘、大分舞鶴、大分雄城台、大分南
- 1985年 大分豊府の新設にともない、既存校の大分鶴崎、大分東を加え、4校・3校の2グループの合同選抜に再編
- 県下屈指の進学校である大分上野丘、大分舞鶴が大分鶴崎、大分東と同グループとされ、希望が特定校に集中して希望校に入学できないケースが多数生じたこと、及び、同一グループ内に距離の離れた学校が含まれ、通学の負担が大きくなる場合があったこと等から合同選抜制度への批判が高まり、民事訴訟が多発した。
- 1990年 2校・2校・3校の3グループの合同選抜に再編
- 大分上野丘、大分舞鶴
- 大分鶴崎、大分東
- 大分雄城台、大分南、大分豊府
- 1995年 合同選抜廃止
[編集] 宮崎県(現在は廃止)
宮崎県では、以下の3つの通学区域において合同選抜が行われていた。居住地により通学する高校が決められており、その境界に位置する中学校の校区は調整区域とされ、定員に応じて2校あるいは3校に振り分けられた。
しかし、出願・受験・合格とも各校単独で行うため、例えば大規模なニュータウンの開発などといった各高校の後背地における状況変化によって、高校間で難易度差や学力差が発生し、必ずしも均等とはならなかった。3通学区域とも2003年に合同選抜は廃止された。
- 北方町・日之影町は高千穂の通学区域でもある。
(市町村名は合同選抜廃止の2003年当時)
[編集] 関連項目
- 複合選抜
- 学区合同選抜制度
- グループ合同選抜制度
- 複数志願制
- 地元集中