大善尊太
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大善 尊太(だいぜん たかひろ、1964年12月14日 - )は、大阪市浪速区出身の大相撲力士。実家は春場所が開催される大阪府立体育会館のすぐ近くにあり、花屋を営んでいる。本名は高橋 徳夫、最高位は小結。左利きのため、左四つになると特に力を発揮した。得意の型は左四つ、寄り、上手投げ。四股名は尊敬する同門の先輩大徹にちなんで付けられた。
真面目で稽古熱心として知られ、NHKの大相撲放送でもしばしばそのことが言及された。一門の親方は「大善を見習え」と言って部屋の力士を稽古に励ませたという。自身も、リラックス法のアンケートがあった際、「稽古をしている時が一番落ちつくので、特に他のリラックス法はない」と答えている。
趣味はプロレス観戦で、プロレスリング・ノアの代表取締役社長兼プロレスラーの三沢光晴と親交が深く、2001年には化粧回しが送られた。このほか元十両の常ノ山とも親交があった。
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[編集] 来歴
昭和56年春場所二所ノ関部屋から初土俵。昭和63年春場所新十両、平成3年9月場所、貴ノ浪と12勝3敗で十両優勝を争い、翌九州場所で新入幕を果たす。貴ノ浪、武蔵丸、鬼雷砲と同期である。
一度は跳ね返されたものの2度目の入幕で幕内に定着し、平成6年春場所新小結に昇進した。同年九州場所には横綱曙を破り初金星を獲得した。平成7年夏場所に十両に落ちてからしばらく低迷が続いたが、精進を怠らず平成11年夏場所、25場所ぶりに再入幕を果たした。これは当時の入幕間隔最長記録である(後に和歌乃山が更新)。平成13年九州場所10日目、この日まで全勝の横綱武蔵丸を寄り切って2個目の金星を挙げた。このとき大善は36歳10ヶ月、年6場所制度が確立して以降では最年長金星であった。インタビューでは「今が全盛期です」という名言を残した。平成14年春場所には千秋楽勝って10勝目を挙げれば敢闘賞受賞が決まっていたが、ガチガチに緊張してしまい敗れて惜しくも受賞はならなかった。
平成15年初場所、十両で大きく負け越し幕下陥落が確実となったが、次の春場所がご当地場所であるため1場所だけ幕下で取って春場所限りで引退。年寄富士ヶ根を襲名し、二所ノ関部屋付きの親方として後進の指導にあたっている。
この間、平成12年名古屋場所の一場所、及び平成13年名古屋場所から翌平成14年秋場所までの間、幕内最年長力士であった。他の幕内最年長力士が錚々たる面々である事を思えば、やや地味な力士であった大善だが、これは立派な勲章といえる。
[編集] 主な成績
[編集] 四股名
- 高橋→高橋山→大善(徳夫→尊太)
[編集] 年寄変遷
- 富士ヶ根(徳夫→全陽)