大垣城
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再建天守 | |
通称 |
麇城、巨鹿城 |
城郭構造 |
連郭輪郭複合式平城 |
天守構造 |
4重4階 |
築城主 |
伝・竹腰尚綱 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 | |
廃城年 | |
遺構 |
石垣、曲輪、復元天守・櫓・門 |
位置 |
大垣城(おおがきじょう)は、岐阜県大垣市郭町にある平城。麇城(びじょう)または巨鹿城(きょろくじょう)の異名を持つ。
[編集] 概要
最盛期には4重4階の天守と四重の堀を持つ堅牢な構造をしていた。現在では復刻天守が建てられ、内部は関ヶ原の戦い等に関する資料館となっている。
1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって築城されたとされている。織田氏、斎藤氏と支配権が移った後、1583年(天正11年)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となる。その後1596年(慶長元年)に伊藤祐盛が天守を造営した。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際には石田三成が入城し、合戦に備えた。その後東軍により落城。そのときの逸話が『おあむ物語』として残っている。
江戸時代に入り、1635年(寛永12年)に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣藩戸田氏の居城となった。
明治に入っても破却を免れ、1936年(昭和11年)に天守等が国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)7月29日の空襲により天守が焼失した。現在の天守は1959年(昭和34年)に再建されたものである。
[編集] 関連項目
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