大山綱良
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大山 綱良(おおやま つなよし、1825年(文政8年) - 1877年(明治10年)9月30日)は、江戸時代後期の薩摩藩士、明治時代の政治家である。父は樺山善助。通称は正円、角右衛門、格之助。
1825年(文政8年)鹿児島に生まれる(幼名熊次郎)。西郷隆盛、大久保利通らとともに精忠組に属し、剣術は薬丸自顕流を学ぶ。
島津久光の上洛に随行し、1862年(文久2年)の寺田屋事件では奈良原喜八郎らとともに過激派藩士の粛清に加わる。
1868年(明治元年)の戊辰戦争では奥羽鎮撫総督参謀を務め、賞典録を受ける。
新政府では廃藩置県後に鹿児島県の大参事、権令(県令)となる。だが、これは旧藩と新府県の関係を絶つために、新しい府県の幹部には他府県の出身者をもって充てるとした廃藩置県の原則に反する特例措置であった。大山は左大臣・島津久光の意を受けて西郷らを批判する。 1873年(明治6年)に征韓論争から発展した明治6年の政変で西郷らが新政府を辞職して鹿児島へ帰郷すると、私学校設立などを援助する。1877年(明治10年)に鹿児島で西郷らが挙兵した西南戦争では官金を西郷軍に提供し、その罪を問われて逮捕され東京へ送還、のち長崎で斬首される、享年53。