大西健丞
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大西 健丞(おおにし けんすけ、1967年5月29日 - )は、日本のNGO「ピースウィンズ・ジャパン」(PWJ)の統括責任者。
大阪府出身。NGOの人道援助を支えるため政府、企業などが資金・人材・ノウハウなどを出し合う「ジャパン・プラットフォーム」の設立に尽力し、現在その理事。国際ボランティア会理事も務める。
2002年、政府主催のアフガニスタン復興支援会議への出席をPWJなど2団体が拒否されたことをきっかけに、自民党の鈴木宗男衆院議員(当時)と対立。田中真紀子外相(同)の更迭など政界を揺るがす騒動に発展したことで、世間の耳目を集めた。
[編集] 経歴
大阪市北区で誕生。父は読売新聞記者、母は高校教師。私立上宮高校を卒業後、1987年、上智大学文学部新聞学科に入学。経済学者の村井吉敬らに影響を受け、フィリピン、インドネシアで農村開発NGOの活動に接した。
上智大を卒業後、英国ブラッドフォード大学の大学院に留学し、国際政治・安全保障学修士課程で紛争解決、人道介入を学ぶ。在学中、研究テーマとしたイラク北部・クルド人自治区での人道介入の実際を見るため、現地を訪問。オックスファムなど欧米のNGOの大規模な活動ぶりに感銘を受け、NGOへの就職を志す。
1994年、村井の紹介でNGO「アジア人権基金」に入り、イラク北部担当調整員に。96年、同基金が資金難でイラクから撤退したのを受け、他の2人のスタッフとともにピースウィンズ・ジャパンを設立した。モンゴル、インドネシアなどへ活動を拡大し、紛争地や自然災害の被災地で難民・被災者らの支援を行ってきた。
日本のNGOが緊急支援の資金調達に苦しむ状況を改善するため、政府、経済界などに協力を求め、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の設立を主導。2000年に初代の評議会議長に就任した。2006年7月には理事・常任委員長となった。
2001年にはアフガニスタンで国内避難民支援に携わり、同年12月のアフガニスタン復興NGO東京会議の開催に奔走。翌2002年1月に、政府が主催したアフガニスタン復興支援国際会議への出席を予定していたが、会議前日に外務省から出席を拒否された。記者会見でその不当性を訴え、背後に鈴木宗男氏の「圧力」があったと指摘したことで政治問題化し、国会での参考人招致も受けた。他方で「アンチ官僚」の世情の空気に乗っかっていただけだとの指摘をする向きもある。
2006年2月、10年余のNGO活動をまとめ、初の単著である『NGO、常在戦場』を出版した。
[編集] 著作
- NGO、常在戦場(2006年、徳間書店)