大阪オリンピック構想
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大阪オリンピック構想(おおさかオリンピックこうそう)とは、2008年に行われる夏季五輪の開催を目指して大阪府や大阪市などが中心となった財団法人「大阪五輪招致委員会」が行った誘致活動である。
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[編集] 概要
メイン会場は大阪市北港(此花区)にある人工島・舞洲におき、ここにある総合スポーツ公園「舞洲スポーツアイランド」にメインスタジアムやサッカー場、体育館(舞洲アリーナ)など主要な競技施設を集約し、またインテックス大阪や長居スタジアムなど市内各地の既存スポーツ施設でも開催することを目指した。開会式は天神祭の開催に合わせて7月下旬に実施することも計画されていた。
[編集] 招致活動
大阪市は、オリンピック招致の機運を盛り上げるための様々なイベントの開催を積極的に進めた。
- 世界新体操選手権(1999年)
- シドニー五輪(2000年)のプロモーション活動
- 世界卓球選手権(2001年)
- 東アジア競技大会(2001年)
- ワールドカップサッカー(日韓大会)(2002年)
- 世界柔道選手権(2003年)
- 世界陸上(2007年)の誘致
このほかにも、誘致のシンボルとして卓球選手の福原愛を招致した。 しかし、大阪市の財政は危機的状況にあったこと、環境破壊や会場アクセスなどの諸問題などから、市民の中には五輪招致に反対する動きがあった。また、2001年5月、現地を視察審査した国際オリンピック委員会 (IOC) は、評価調査書でこれらの諸問題から「大阪での五輪開催は困難ではないか」という事実上の落選確定とも取れる推薦辞退の勧告を促そうとしたこともあった。同年7月に行われたIOCモスクワ総会で、1回目の投票で落選(6票)し、2008年開催地は中国の北京(北京五輪)に決定した。なお余談だが、後日落選した大阪の元に、『大阪に投票したのに残念だ』と言う慰めの言葉を送った国が、6カ国以上名乗りをあげると言う珍事態が起きた。
[編集] その後の影響
舞洲に造られた下水処理場とゴミ処理場は、オリンピック開催を前提として莫大な建設費を投じて豪華な外観に造られた。また、招致活動にも約53億円を費やしたため、危機的状況にある市の財政を更に圧迫することとなる。2009年には財政再建団体に転落するのではないかと危惧されている。さらに、2014年開催予定のアジア競技大会の立候補など影響が出る。
[編集] 関連項目
- 横浜オリンピック構想(国内候補地に落選した「YOKOHAMA 2008」の事例)
- 名古屋オリンピック構想(1988年の夏季オリンピック招致に失敗した事例)