名古屋オリンピック構想
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名古屋オリンピック(なごや-)は、1988年の夏季オリンピックを愛知県名古屋市で開くために計画されていた大会の名称。1981年の国際オリンピック委員会(IOC)総会での決選投票により、韓国のソウルに敗れ(ソウルオリンピック)、開催は実現しなかった。
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[編集] 大会の概要
名古屋市千種区の平和公園にメインスタジアムを建設し、愛知県、岐阜県、三重県の東海3県の広域開催が計画されていた。
[編集] 招致運動の経緯
- 1977年8月 - 仲谷義明愛知県知事が名古屋へのオリンピック招致を提案
- 1979年2月 - 仲谷県知事が再選
- 1979年10月 - 日本オリンピック委員会(JOC)総会で名古屋へのオリンピック招致を決定
- 1979年11月 - IOC総会を名古屋で開催
- 1980年11月21日 - 鈴木善幸内閣により閣議了承
- 1980年11月26日 - IOC本部に正式の誘致申請書を提出
- 1981年5月12日 - 衆議院において招致決議案を全会一致で採択
- この間、財政負担の増加や環境破壊への反対を唱える、市民レベルでのオリンピック招致反対運動が断続的に続く
- 1981年9月30日 - IOC総会(西ドイツのバーデンバーデン)で開催地の決選投票、27対52でソウルに敗れる
- 1983年2月 - 愛知県知事選に仲谷知事が不出馬
- 1988年9月17日 - ソウルオリンピックが開幕
- 1988年11月18日 - 仲谷前知事が自殺
[編集] 招致失敗の原因
日本で3度目、夏季大会限定でも2度目の開催であり、過去の東京オリンピックや札幌オリンピックと比較すると政府の動きが鈍かった事が指摘されている。また、アジアでのオリンピック開催を日本が独占することへの懸念があったことも指摘される。事前に劣勢が伝えられていたソウルは、韓国政府や財界が一丸となって招致運動を進めた一方で投票権を持つIOC委員への不正献金や接待による投票依頼が行われたのでないかとの疑惑の声もある。
[編集] その後の影響
名古屋のテレビ各局は開催地決定に合わせて特別番組を放送していた。招致運動では事前の優勢が伝えられていただけに、決選投票における予想外の敗北で衝撃は大きかった。各所で招致成功を祈るイベントの準備が進められ、「名古屋オリンピック音頭」(歌:川崎英世・小林真由美)も作られていた。名古屋市交通局は優勢である事を理由に投票前にオリンピック記念乗車券を製作していたが、販売は中止され、その後この記念乗車券は希望者に資料として配布された。
愛知県はソウル五輪閉幕後の1988年10月に2005年の国際博覧会(万博)開催構想を提起し、2002 FIFAワールドカップ(2002年W杯)とともにオリンピックに代わる大規模イベントの県内開催を目指した。2002年W杯は1996年12月の国内都市選考で新潟県(新潟スタジアム)に敗れ、大規模スポーツ大会の誘致に続けて失敗したが、1997年6月のBIE総会で万博開催決定に成功し、愛・地球博(愛知万博)開催へ進んだ。
また、この名古屋オリンピック招致運動失敗が、1998年の長野オリンピック招致において長野県庁などが行った買収工作につながったとも言われる。
ちなみに、架空の歴史を辿った日本と朝鮮が舞台の韓国映画「ロスト・メモリーズ」では、名古屋オリンピックが実現している。