横浜オリンピック構想
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横浜オリンピック(よこはま-)は、2008年の夏季オリンピックを神奈川県横浜市で開くために計画されていた大会の名称。
1997年の日本オリンピック委員会(JOC)総会での決選投票により、日本からの立候補都市は大阪市(大阪オリンピック構想)に決定し、開催は実現しなかった。
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[編集] 大会の概要
- 横浜市を中心にしながら、関東地方の1都6県と山梨県に38会場を整備する広域開催として、開催費用を抑える構想を持っていた。
- 横浜市北部、港北区の横浜国際総合競技場がメインスタジアムになっていた。
- みなとみらい地区には運営本部、プレスセンター、選手村などの大会機能を集中させる予定になっていた。
[編集] 関連年表
- 1990年3月 - 横浜市が港北区に1998年(平成10年)秋季国体のメインスタジアム建設を決定
- 1994年1月 - 横浜国際総合競技場が着工
- 1996年10月22日 - 高秀秀信横浜市長(当時)がオリンピック開催都市への立候補を表明
- 1996年12月 - 横浜市が2002 FIFAワールドカップ開催都市に決定
- 1997年3月21日 - 横浜市議会でオリンピック開催都市立候補決議を採択
- 1997年8月13日 - JOCでの国内立候補都市選考で、決選投票の結果大阪に敗れる(17対29)
- 1997年10月 - 横浜国際総合競技場が竣工(開場は1998年3月)
- 1998年10月 - 横浜国際総合競技場をメインスタジアムとして神奈川県内各地で「かながわ・ゆめ国体」を開催
- 2001年7月13日 - 2008年オリンピック開催都市が中国の北京に決定(北京オリンピック)
- 2008年10月10日 - 横浜オリンピック開会式予定日(競技は10月11日-10月26日)
[編集] 招致失敗の原因
- 日本で2度目の夏季オリンピックを再び関東地方で開催する事に対し、東京一極集中を懸念する声が挙がっていた。
- 北関東まで会場が分散する超広域開催に対しての不安が払拭できなかった。
- 財界などの民間団体まで広く組織化した大阪に対し、横浜の招致活動は市役所の主導権が強すぎ、市民の関心を引きつけきれなかった。
[編集] その後の影響
- 既に国体開催のためのスポーツ施設整備が進行中であり、FIFAワールドカップの日本開催も決定していたので、五輪招致失敗による影響はそれほど大きくなかった。
- ただし、国体での使用だけなら3万人、ワールドカップ開催を考慮しても4万人程度の収容能力で十分だった横浜国際総合競技場が7万人の巨大スタジアムになった事で、横浜市は建設費と維持費の負担が巨額になった。
- 同市を破った大阪がIOC総会での開催地決定投票でほとんど支持を得られずに落選した際、国際知名度では大阪に勝る横浜が出ていたほうが、不甲斐ない結果にならなかったとの意見も出た。[要出典]
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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