奥六郡
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奥六郡(おくろくぐん)は、律令制下に陸奥国(東北地方太平洋側)に置かれた胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡の六郡の総称。 現在の岩手県奥州市から岩手県盛岡市にかけての地域に当たる。
奥州安倍氏の本貫であったが、この地の支配をめぐり源頼義・源義家による攻撃を受けて(前九年の役・後三年の役)のち、さらに安倍氏の流れを汲む「奥州藤原氏」が源頼朝による攻撃を受ける(奥州合戦)など、数代幾多に渡り源氏の攻略を受けた。 南北朝時代には、源義家の後裔に当たる足利氏が紫波郡(かつては「斯波郡」)に進出、「斯波氏」を名乗りその流れは室町幕府三管領筆頭となった。
現在では、岩手県を南北に流れる北上川沿いの北上盆地の内、南の端の旧磐井郡を除く地域にあたり、稀に「北上平野」とも呼ばれる。
現在、北上盆地の南の端には、北上平野と低い山地で分けられる西磐井郡(平泉町や一関市中心部がある小盆地。北上川沿いに奥六郡と繋る)と、北上盆地から外れる東磐井郡があるが、これらは明治時代初期に旧・磐井郡を分割したもの。奥州藤原氏の本拠地・平泉は、在地勢力の本拠奥六郡と、陸奥国府多賀城を背景に朝廷勢力の強い仙台平野とのつなぎ目にあたる軍事的な要衝の小盆地「西磐井郡」にあった。そのため、「奥六郡」という場合に、漠然とこの西磐井郡も含めることがある。
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