平泉町
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平泉町(ひらいずみちょう)は、東北地方の中部、岩手県南部、胆沢盆地に位置する町。
平安時代末期に、奥州藤原氏の根拠地となった町として有名である。奥州藤原氏の時代には、平泉の人口は10万~15万人と推定され、当時の日本(推定総人口1000万人)において、京都(16万~30万人)に次ぐ大都市として栄えた。現在でも、中尊寺や毛越寺などの遺跡から、当時の繁栄を偲ぶ事ができる。
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[編集] 歴史
衣川と磐井川に挟まれた比較的開けた丘陵地帯にあり、またすぐ東を北上川が流れているために、水運にも優れた地域である。奈良時代から平安時代にかけて、ここの支配権をめぐって各勢力がしばしば激しく争った。
古代期から、平泉は軍事の要衝地帯として重要視されていた。8世紀には大和政権と蝦夷勢力の衝突が胆沢盆地を中心に行われ、そのもっとも大きなものである792年(延暦11)の大和政権の坂上田村麻呂と蝦夷方のアテルイの戦いは平泉近辺におけるものであった。その後、蝦夷勢力の衰退と802年(延暦21)の胆沢城(奥州市域)の築城とともに大和政権の支配下に入るようになった。
間もなく近辺で黄金が産出されることが判明し、水運の拠点として平泉の重要性はいよいよ高まった。平安時代後期には地元の豪族であった安倍氏が俘囚長として、胆沢盆地を含む奥六郡を支配し、近辺では国司よりもはるかに強力な勢力を持つが、前九年の役で源頼義・義家親子に滅ぼされた。平泉はその際に源氏に味方した清原氏の支配下に置かれたが、清原氏の内紛である後三年の役を経て勝ち残った清原清衡(藤原清衡)が藤原氏を名乗り、根拠地を江刺郡豊田館(奥州市域)から磐井郡平泉(平泉町域)に移して居館を建設した。そして以後、清衡から藤原泰衡の4代にわたっての奥州藤原氏の本拠地として栄華を極めた。
藤原氏の治世のもと、平泉には有名な中尊寺や毛越寺などが建立され、さらに第3代当主・藤原秀衡は名馬や黄金を朝廷にたびたび献上して、その経緯から京都の文化を取り入れるまでに至った。また、アイヌをとおして大陸(沿海州)などとも交易をしていたことも知られている。しかし秀衡死後の1189年、源義経を匿ったことから源頼朝の追討を受け、泰衡は混乱の中で家臣に殺され、ここに奥州藤原氏は滅亡した。
その後、平泉は奥州総奉行として赴任した葛西氏の本拠となったが、鎌倉時代の平泉は産金量の低下や御家人の領地細分化などで次第に栄華を極めた都市としての力を失い、中世末期には奥州藤原氏によって建設された造営物は大半が失われてしまい、都市としての力もなくなってしまった。江戸時代前期の1680年6月9日(元禄2年旧5月13日)、平泉を訪れた松尾芭蕉は、奥州藤原氏の当時繁栄を極めた居館のあった場所が、田野となっている有様を見て、
- 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
と俳句を詠み、また朽ちかけていたもののかろうじて光を残す中尊寺金色堂においては、
- 五月雨の 降(ふり)残してや 光堂
の句を残している(いずれも『奥の細道』所載)。
現在では、日本屈指の米の生産地となっている。
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制の施行により、旧・平泉村、中尊寺村、戸河内村が合併し、西磐井郡平泉村が成立。
- 長部村、小島村が合併し、東磐井郡長島村が成立。
- 1953年(昭和28年)10月1日 平泉村が町制施行、平泉町となる。
- 1955年(昭和30年)4月15日 平泉町、長島村が合併し、現在の平泉町となる。
[編集] 行政
[編集] 姉妹都市
[編集] 経済
[編集] 伝統産業
- 秀衡塗
[編集] 教育
- 平泉町立平泉中学校
- 平泉町立平泉小学校
- 平泉町立長島小学校
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
[編集] 道路
[編集] 高速自動車国道
[編集] 一般国道
[編集] 県道
[編集] 主要地方道
[編集] 一般県道
[編集] 観光
- 柳之御所遺跡
[編集] 祭事・催事
- 元朝詣り(1月)
- 修正会(1月)
- 毛越寺二十日夜祭(1月)
- 節分会(2月)
- 春の藤原まつり(5月)
- 曲水の宴(5月)
- 毛越寺あやめ祭り(6月~7月)
- 平泉水かけ神輿まつり(7月)
- 薪能(8月)
- 平泉大文字まつり(8月)
- 萩まつり(9月)
- 菊まつり(10月~11月)
- 秋の藤原まつり(11月)
[編集] 百選
[編集] 平泉を舞台とした作品
[編集] 出身有名人
- 千葉絢子 - アナウンサー
[編集] 外部リンク
- 平泉の文化遺産
- 古都平泉の文化遺産
- 平泉景観問題を考えるHP
- 平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観 - 世界遺産登録をめざして
- 国土地理院地形図閲覧システム
- 国土地理院 地形図閲覧システム 2万5千分1地形図名:平泉(北東)
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