宮川粂次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮川粂次郎(みやがわ くめじろう、天保3年(1832年) - 明治8年(1875年)3月7日)は、幕末の一般男性。新選組局長近藤勇の次兄。天然理心流門人。幼名、粂蔵。諱は宗信。宗兵衛、惣兵衛、総兵衛とも。一時、佐藤姓を名乗った。
宮川源次郎(久次郎)の次男に生まれる。
嘉永元年(1848年)、弟・勝五郎(勇)に説得されて、しぶしぶ近藤周助の天然理心流に入門。稽古には不熱心だった。
多摩郡野中新田の佐藤家に婿養子として迎えられ、佐藤宗兵衛と名乗る。
元治元年(1864年)、京都へ上洛。禁門の変を間近で見聞し、兄・音五郎へ新選組の様子を手紙で伝えた。
明治8年、他界。享年44。