小倉昌男
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小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 2005年6月30日)は、日本の実業家。東京都出身。ヤマト運輸の『宅急便』サービスの生みの親である。
[編集] 来歴・人物
1937年幡代小学校卒業。同年、当時府立一中を上回る最難関の官立東京高等学校尋常科に入学。1942年秋、東京高等学校高等科卒業。1943年秋、東京大学経済学部入学。1947年、東京大学経済学部卒業。1948年、父・小倉康臣が経営する大和運輸(現・ヤマトホールディングス)に入社。1971年、康臣の後を継いで社長に就任した。
クリスチャン。長らく救世軍に所属していたが、晩年は「夫婦一緒の教会が良い。妻に転会の意思が無いので自分が合わせる」と、妻の所属していたカトリックに移籍。
1976年、オイルショック後に低迷していた大和運輸の業績回復のため、『宅急便』の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを始めた。サービス開始当時は関東地方のみだったが、その後、配送網を全国に拡大し、ヤマト運輸が中小の会社から売上高一兆円の大手運輸会社に発展する基礎を築く。1987年、会長に就任。
宅配便の規制緩和を巡り、旧運輸省(現・国土交通省)、旧郵政省(現・日本郵政公社)と対立した。
1995年に会長を退任後は、障害者が自立して働く場所作りに取り組んでいた。また、「郵政民営化」を唱えた小泉純一郎首相との親交でも知られていた。
2005年6月30日、アメリカ・ロサンゼルスの長女宅で逝去。享年80。
長男は、現・ヤマト運輸社長の小倉康嗣である。
[編集] 著書
- 小倉昌男経営学(1999年、日経BP社)
- 経営はロマンだ! 日経ビジネス人文庫 私の履歴書(2003年、日本経済新聞社)
- やればわかるやればできる クロネコ宅急便が成功したわけ(2003年、講談社)
- 福祉を変える経営 障害者の月給一万円からの脱出(2003年、日経BP社)
- 「なんでだろう」から仕事は始まる!(2004年、講談社)