小峰柳多
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小峰柳多(こみね りゅうた、1908年9月3日 - 1974年5月29日)は、日本の政治家。元衆議院議員。群馬県碓氷郡出身。東京商大専門部(現在の一橋大学)卒業。
理化学興業株式会社調査課長、鍛造研究会常任理事、科学主義工業社専務取締役、産業機械統制会調査課長、理研航空治具株式会社専務取締役、理研科学映画専務などを経て、戦後初の総選挙に自由党から出馬し衆議院議員選挙に当選(旧群馬3区)。その後民自党に移り、民自党政調会副会長などの要職を歴任。保守合同後は自由民主党に移った。
書道にも造詣が深かった。書道家の金子鷗亨の弟子でもあった。1950年に財政問題から日本総合書芸展(現在の毎日書道展)への毎日新聞社の資金提供がなされず、展覧会も中止となった。毎日側と書家の側の感情的対立から翌年以降の展覧会の開催が危ぶまれたが、小峰の橋渡しにより翌年の開催にこぎつけた。