小林孝至
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男子 レスリング | ||
金 | 1988 | 男子 フリースタイル48kg級 |
小林孝至(こばやし たかし、1963年5月17日 - )は、日本の元レスリング選手。現スポーツコメンテーター、日本レスリング協会広報委員。ソウルオリンピックのレスリングフリースタイル48kg級金メダリスト。
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[編集] 来歴
茨城県牛久市出身。土浦日大高校時代からレスリングをはじめ、レスリング選手権において高校3冠を2年連続で達成するなどの成績を残した。日本大学在学中のロサンゼルスオリンピック選考会において、高校の先輩である入江隆に敗れて出場機会を逃す。同大学を卒業後、ユナイテッドスティール(後にユニマット⇒ジャパンビバレッジと商号変更)に入社。
1988年のソウルオリンピックでは日本代表に選考され、フリースタイル48kg級で金メダル獲得。
これらの功績が評価され、その後勤務先では3階級特進を果たしている。
1991年に現役を引退後は、総合格闘技PRIDEのジャッジを担当。レスリング出身の選手や、レスリング技術を発揮した選手にポイントを与える判定をする傾向があり、「ジャッジ小林」という名でファンの間で有名。講演会での講師、茨城大使を務める他、バラエティ番組出演など幅広く活動している。
[編集] エピソード
- 1988年10月29日、ソウルオリンピックで獲得した金メダルを上野駅の公衆電話に置き忘れて紛失。この事は新聞・テレビ・雑誌などで大々的に報道され話題(金メダルを置き忘れるとは何事かという否定的な論調が大多数を占めたが、その後拾得者が届け出たため、金メダルは小林の元に戻っている)となる。金メダルが手元に戻った後は、このエピソードをネタにして自身が『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演。同番組への出演がきっかけで人気者となり、番組を観ていた女性と結婚している。
- プロレスリング・ノア所属のプロレスラー本田多聞は、大学の同期生である。
- テレビ出演した際「現役当時、腹筋は何回できたか?」と質問され、「回数はわからないが大体4時間」と答えた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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