小池民男
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小池 民男(こいけ たみお、1946年 - 2006年4月25日)は、朝日新聞編集委員兼論説委員を務めたジャーナリストである。2001年から3年間、コラム「天声人語」の執筆を担当した。
[編集] 生涯
岐阜県益田郡萩原町(現下呂市萩原町)出身。萩原南中学校を卒業。1969年、朝日新聞社に入社。学芸部の記者を長く務め、学芸部次長などを経て、1991年に論説委員。1997年1月から2000年7月にかけて朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」を執筆。2001年4月1日からは、栗田亘の後任として朝刊のコラム「天声人語」の執筆を担当、2004年3月31日まで連載した。
2001年8月8日及び同年10月27日掲載の天声人語について、週刊新潮(2003年2月20日号)が、「インターネットから「盗用」していた 朝日の看板コラム「天声人語」」と題する記事を掲載。朝日新聞社が新潮社に謝罪と5000万円の賠償を求める裁判に発展した([1])。また、一連の論調や引用の多さについて、2ちゃんねる内では度々批判的検証の対象となった。
2005年4月4日からは、署名コラム「時の墓碑銘(エピタフ)」を毎週月曜に連載。「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました―中原中也」から始まり、2006年4月3日の「権力は腐敗する 弱さもまた腐敗する―エリック・ホッファー」が絶筆となった。
2006年初頭に、食道癌を患い入院。病床で執筆を続けたが、同年4月25日午前4時33分、食道癌のため東京都中央区築地の国立がんセンターで死去。59歳。