小笠原丸
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小笠原丸(おがさわわらまる)とは逓信省の電纜敷設船で、初の国産敷設船である。
[編集] 歴史
[編集] 攻撃による沈没
1945年(昭和20年)8月22日に逓信省職員をはじめ女性や子供、老人など樺太からの引揚者600名近くを乗せて稚内港から小樽港へ航行中、留萌沖にて国籍不明の潜水艦(ロシア側は認めていないがソビエト連邦のL12またはL19説が有力)に雷撃されて沈没、700人近くの犠牲者を出した。(この潜水艦は、その後、引き揚げ船として利用されていた特設砲艦の第二新興丸に雷撃を加えるが反撃されて損傷、その後樺太留多加郡能登呂村の二丈岩近海で沈没している)。