山谷 (東京都)
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山谷(さんや)は、台東区・荒川区にある寄せ場(日雇い労働者の滞在する場所、俗に言うドヤ街)の通称(旧地名)である。
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[編集] 概要
江戸時代から木賃宿(食事を提供しない素泊まり専門の旅館)が集まる場所で、現在も簡易宿泊所の施設が多く、日雇労働者が集まっている地域である。労働条件は決して良くはなく、暴力団などに食い物にされるものも少なくない。
1966年(昭和41年)以前は台東区の一地名であったが(台東区(浅草)山谷1~4丁目)、住居表示制度の実施により、現在は「山谷」という地名は消滅している。
現在、東京都が「山谷地区」と指定する地域は、簡易宿泊施設が集中する泪橋交差点を中心とした台東区と荒川区にまたがり、台東区清川一・二丁目、日本堤一・二丁目、東浅草二丁目、橋場一・二丁目、荒川区南千住一・二・三・五・七丁目(旧台東区山谷に隣接)が該当する。
東京地下鉄南千住駅南口から外に出て、直ぐそばにある跨線橋を渡り、しばらく南進すると、向かって左手にはショッキングピンクの壁が印象的な中華料理屋兼パブ、右手にはセブン-イレブンが見えてくる。ここが泪橋交差点であり、この一帯が山谷地域となる。
街のいたる所に反戦、反天皇制のビラや看板などの姿が見られる。現在は、地域に根付くカトリック系やプロテスタント系のキリスト教会・団体と共同して炊き出し等を行っている。
山谷地域の西隣には、ソープランド街である吉原(ここも1966年の住居表示制度の実施により、正式地名としては消滅)がある。
[編集] 簡易宿泊施設
この町の簡易宿泊施設の殆どは素泊専門(食事などのサービスを提供せず、就寝できる場所のみを提供する宿の形態)である。料金はおおむね個室で1泊2000円から2500円だが、古い所では1000円台、新しい所では3000円台の価格を設定している傾向がある。内部の設備も価格帯によってかなり差が出る。例えば、インターネットはおおむね3000円台では利用できるが、2000円台では利用できないケースが多い。1000円台では、8人部屋などの多人数でのドミトリーを提供している所もある。
また、この町の簡易宿泊施設は、軒先に「全室カラーテレビ完備」「全室冷暖房完備」という謳い文句を掲げる店がきわめて多い。細かいフォーマットは異なっていても、新しい簡易宿泊施設以外は必ずといってよいほどこの2つが提示されている。なお、「カラー」は赤・緑・黄・青など、「冷暖」は赤と青で一文字ずつ色分けされているのが特徴である。
[編集] 歴史
元々は日光街道の江戸方面の最初の宿場であった。戦前より既に多くの貧困層や労働者が居住していたが、戦後になると、東京都によって被災者のための仮の宿泊施設(テント村)が用意され、これらが本建築の簡易宿泊施設へと変わっていった。まもなく高度経済成長期が到来するようになると、労働需要の高まりに対応し、日本有数の寄せ場として発展した。
1960年代以降、この地域に新設された山谷地区交番(通称『マンモス交番』、現存)の警察官との間で数千人規模の暴動(山谷騒動)が複数回発生した。騒動の直接の原因については様々な理由が挙げられているが、犯罪者や過激派などの煽動を指摘する説もある。
1969年、フォーク歌手岡林信康が、日雇労働者の悲哀を歌った『山谷ブルース』を発表した。岡林は山谷に長期滞在して作ったといわれるが、実際には一週間程度しか滞在していなかったというのが実状だった。
1984年と1986年には、この地区で暗躍する暴力団(金町一家)と労働者の闘争を描いたドキュメンタリー映画『山谷(やま) - やられたらやりかえせ』を製作した監督2名が、暴力団日本国粋会の組員によって相次いで暗殺される事件が起こった。
1996年に東京都と東京23区は互いの了解のもと、路上生活者に各区が生活保護を行い、自区内で住居が決まるまで山谷に預ける「規則(ルール)」を作った。一時的に預けるという措置だったが、保証人などの問題もあり、その後も各区が再度引き取ってアパートなどを探すことはあまりなく、山谷に連れて行かれた後そのまま放っておかれるなど、長期にわたって住所不定のままになっている人が少なくない。こういったことから、山谷は「棄民の街」と揶揄されている。
近年では、この地区の主な住人である日雇労働者の高齢化と人口減少が問題になってきている。このことから、「労働者の街」から「福祉の街」に変わりつつあるという声も聞かれる。こうした住人の変化に伴い、簡易宿泊施設には、従来の労働者に代わって、各国から日本に旅行にやって来る外国人達による格安のホテルとしての利用が増加しており、簡易宿泊施設のオーナーらからは、外国人利用者の利用を促進したいという動きがみられる。
[編集] 東京都内に幾つかあった「山谷地区」
旧版地図等によると、他にもかつて「山谷」という地名が幾つかあった。
- 渋谷区-現在の代々木地区の一部に相当し、区立山谷小学校があり、付近を代々木山谷通りが通り、小田急線開通当初は、山谷駅が設置されていた。
- 世田谷区-東北沢駅付近に「下山谷」という字があった。下北沢地区には、他に「大山谷」などの字もあった。
- 大田区-大森附近に存した。京浜急行電鉄本線大森町駅のある位置には、かつて「山谷」駅(後に「大森山谷」駅と改称、廃止)があった。