崔承喜
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崔承喜 | |
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朝鮮語表記 | |
ハングル: | 최승희 |
朝鮮語の漢字: | 崔承喜 |
片仮名: (現地語読み仮名): |
チェ・スンヒ |
ラテン文字転写: | Choi Seung-Hee |
崔承喜(さい・しょうき[1]、1911年11月24日-1969年8月8日?)は、第二次世界大戦前、戦中に活躍した舞踏家。戦後北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ渡る。兄は作家崔承一、夫は北朝鮮政治家の安漠、娘は同じく舞踏家の安聖姫。
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[編集] 経歴
京城(現在のソウル)で両班の家に生まれる。幼いころに才能を認められ、内地(日本本土)に渡りモダンダンスの石井漠に師事、後に独自のスタイルを築き、日本はもとよりヨーロッパ、アメリカでも好評を博した。ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人にも支持された。戦時中は日本人として支那戦線の日本軍へ慰問団の一員として慰問活動などを行っていた。
戦後は夫と共に北朝鮮に移り、舞踏研究所を設立する。1951年、周恩来の支持で北京に舞踏訓練班を設立し、多くの生徒を指導する。 しかし後年失脚したらしく、1967年以降消息不明となった。ところが2003年2月9日に、1969年に亡くなったこと、遺体が愛国烈士陵に葬られ墓碑に「舞踏家同盟中央委員会委員長、人民俳優」と刻まれていることが公式筋より公表され、「人民俳優」として名誉回復されたことが明らかとなった。しかし、失脚理由や死因は公式発表されておらず、公式発表の没年月日ですら正確な物なのかどうか、未だに疑問がもたれている。[2]
[編集] 出演映画
[編集] 関連項目
- 京畿道 (植民地時代)
- 創氏改名
- 永田弦二郎
[編集] 関連著書
- 炎は闇の彼方に―伝説の舞姫・崔承喜(金賛汀・著、日本放送出版協会)ASIN: 4140807091