巌流島
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巌流島(がんりゅうじま)は山口県下関市にある無人島。関門海峡に浮かぶ小島で、正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、現在もその住所は『下関市彦島大字船島』である。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたといわれていることで有名。佐々木小次郎が「厳流」を名乗ったことから巌流島と呼ばれるようになった。なお日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年(1612年)4月13日(グレゴリオ暦では5月13日)に行なわれたとされるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』 享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあるなど、決闘時期には諸説あり、じっさいは不明である。
昔はすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉も名護屋から帰阪途中にここで乗船が転覆、毛利水軍によって助けられたと言われている。このとき責任を取って船と運命を共にした艦長・明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には『与次兵衛ヶ瀬』と呼ばれたという
岩礁は大正年間、往来する船の増加と大型化に伴い爆破処理されたが、この部分も併せて三菱重工業によって埋め立てられ、現在の巌流島の一部となった。この埋め立てによって、もともと1万7千平方メートル程度であった島の面積は約6倍の10万平方メートルに広がった。第二次大戦後島に移住者があり、一時は30軒に達したが、再び減少し、1973年には無人島に戻った。近年、狸が自生しているという。現在、下関(唐戸)、門司より関門汽船が運航、関門海峡の遊覧船もこの島に寄港する。
1987年10月4日には、この島でアントニオ猪木と斎藤昌典(マサ斎藤)によるプロレス試合(時間無制限ノールールマッチ)も行なわれている。
2003年に公園として整備され、5月の連休時のしものせき海峡まつりでは、巌流島フェスティバルのイベントとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われる。