左義長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
左義長(三毬杖・さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗だが、東京では江戸時代に火災予防のために禁止されて以降廃れた。
目次 |
[編集] 概要
1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食べるとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。 道祖神の祭りとされる地域が多い。 民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされる。お盆にも火を燃やす習俗があるが、こちらは先祖の霊を迎えたのち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられている。
どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われるが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている。とんどを爆竹と当てて記述する文献もある。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろう。
子どもの祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子どもが行う。またそれは、小学校などでの子ども会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される。
地方によって焼かれるものの違いがある。
- だるまを焼くかどうか
- 縁起物を祭りで焼く事により、それを天にかえす
- 目がつぶれるとされ、祭りでは一切焼かない
- だるまそのものが登場しない
実施する地域の分布図や形態については、川崎市民ミュージアムに展示がある。
また、実施しない地域でも、ある特定の日にお札を焼く行事を執り行う地域がある(12月29日など)
最近はダイオキシン問題で取りやめているケースもある。
神奈川県大磯町の左義長は重要無形民俗文化財に指定されている。
[編集] 起源
起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから三毬杖(さぎちょう)と呼ばれた。 これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。
[編集] 補足
国民の祝日の成人の日が1月15日から1月の第2月曜日に変更されたことに伴い、地域によっては左義長を1月の第2日曜日または第2月曜日に実施するところもある。滋賀県近江八幡市の左義長まつりは3月の中頃に男性が女装し「チョウヤレ、マッセマッセ」のかけ声のかけ実施される。
福井県勝山市の左義長まつりは毎年2月に行われており300年以上前から続いている。同じく女装した男性が太鼓を打ちたたき浮かれ踊る。
[編集] 様々な呼ばれ方
- おんべ焼き(単におんべとも)
- さいと焼き
- 御柴灯(おさいとう)
- さぎっちょ
- 福間三九郎(ふくまさんくろう)
- 長野県松本地方の呼称。だるまは一番目立つ頂上付近に飾り付ける。旧来は1月15日に行われていたが、最近は学校の休みに合わせ、1月7日頃行われるところが多い。「繭玉」と呼ばれる米の粉で作った団子を柳の枝に刺して焼いたものを食べ、無病息災の祈願をする。
- 墨付けとんど
- 新潟県十日町市松之山町の行事。焼きを行った後の行事の名前から。稀な例。焼く対象を「賽の神」と呼ぶ。
- とんど焼き
- どんと
- どんと祭 (どんとさい)
- 仙台で行われるものの呼称。1月14日夜に正月飾りを焼き、その火にあたると病気をせず健康で暮らせるといわれる。餅を焼くということはなく、だるまは登場しない。子供の祭りともされない。また、特に書初めを焼くということもない。
場所の確保等の問題で年々少なくなりつつはあるものの、各地域ごとの神社で行われてきた。中でも大崎八幡宮のものは20万人以上が訪れるというもっとも盛大なものである。裸参りと称し、男衆がふんどし姿で練り歩く行事も行われる。この裸参りには、女性の参加も増えている。(女性はさらしを巻く) - 大崎八幡宮どんと祭
- どんどや(九州)
- どんど焼き
- どんどん焼き
- ほっけんぎょう(九州/福岡)
- やははいろ(東北)
[編集] 関連項目
カテゴリ: 日本文化関連のスタブ項目 | 正月 | 民俗学 | 日本の年中行事