ノート:帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>>世界史上、様々な要因でまれに発生し、多くは数世紀を経ずして崩壊していったこれら「独裁者の帝国」はたった一人の人間である「皇帝」の性格、考え方で国策は一日にして180度変わりうるものであり、有能で領土拡大を望む独裁者が現れれば侵略的ではあるが、広大な帝国になったり、素晴らしい文化が花開くこともあり、結果的には域内にある期間平和をもたらすこともあるが、「皇帝」は老化もすれば、死亡もする「人間」であり、まして無能な独裁者が現れれば世情は不安定になるという、まことに危ういものであり、多くの歴史上の悲劇を生むことにもなったものでもある。
何だか非常に疑問な文章です。まず「まれに」?どこを基準としてまれなのか判りませんが、まれと言うのは?次に「数世紀を経ずして崩壊していった」って数世紀以上持った国が歴史上いくつあるのですか?そして「独裁者の帝国」、近代的な独裁者と皇帝を一緒くたにするのは大いに疑問。らりた 2004年7月13日 (火) 13:50 (UTC)
>「数世紀を経ずして崩壊していった」 東ローマ帝国は一千年持ったんですけど…。
それと、東ローマ帝国は最後に滅びるまで、「元老院・市民・軍隊」の推戴が皇帝の正当性を示す、という建前が残された国家であり、そもそも東ローマ帝国の体制は古代ローマ帝国後期の体制が4世紀から7世紀までの間に徐々に変化して出来たものですから、古代のローマ帝国と分断して考えるのは不適当だと思います。また、11世紀後半以降の東ローマ帝国は大貴族の力が強くなり、帝国政府は貴族の連合政権となっていましたから、この記事のような「独裁者の帝国」などではありませんでした。
オスマン帝国はイスラム王朝でしたが、東方正教会やコプト教の信者などを支配し、税金さえ払えばその信仰の自由を保障していました。またスルタンの元に官僚制度や大宰相などの官職も整備されており、1人で何でも決められる体制ではないかと。しかも500年以上続いていますので、この記事の記述と合わない気がします。
さらに神聖ローマ帝国は諸侯の力が強く、皇帝の権力が弱い帝国でしたから、この記事の定義には全く該当しないと思います(この記事を書いた人には、とりあえず講談社現代新書の『生き残った帝国 ビザンティン』・『オスマン帝国 緩やかな専制』・『神聖ローマ帝国』あたりでもお読み頂ければと)。よって、この辺は全てカット、また改変しました(これは、やり過ぎですか?ログインメンバーの皆様)。
さらにさらに、この記事にはペルシャ系の「シャー」が「カエサル」に由来している、という文言がありましたが、「シャー」はローマ帝国以前のアケメネス朝時代から存在する称号であり、事実誤認も甚だしいのでカットしました。
61.124.108.23 2004年7月22日 (木) 14:46 (UTC)
補足:岩波書店から『古代ローマ帝国の研究』という本が出ています。ここにはローマにおける「帝国(インペリウム)」の概念について触れられてるようなので、記事を書く際の参考になるかもしれません。
岩波書店 『古代ローマ帝国の研究』紹介ページ
61.124.108.23 2004年7月22日 (木) 15:07 (UTC)
[編集] 第三帝国
「第三帝国」の誤訳に関する記述について、どの様に誤訳なのかご存じの方、いらっしゃいますでしょうか。「『ライヒReich』の誤訳」と言われてもどの様に間違えて、正しくはどう訳すべきなのかが不明です。「第三帝国」は神聖ローマ、ホーエンツォレルン朝ドイツ帝国に次ぐ、第三の帝国という意味だと理解しています。また"Reich"を「帝国」と訳すのは一般的な訳かと思います。根拠ないし出典がありましたらご教示下さい。コータ 2005年6月22日 (水) 16:12 (UTC)
[編集] 日本を現存唯一の帝国とする記述について
2007年3月19日 (月) 09:38 (UTC)にこの編集で利用者:Yu-chan794(会話/履歴)さんが「2007年現在、前者の定義による「帝国」として現存しているのは、天皇(対外的にはEmperor = 皇帝)を形式的な君主に戴いている日本国のみである。(詳細は皇帝#日本の天皇あるいは皇帝を参照)」という記述を書き加えましたが、この記述の「前者」にあたる「皇帝と呼ばれる(または皇帝に相当する)君主が支配する国家のこと。(傍線Novo)」という定義に日本国があてはまるのか、ご説明をいただけないでしょうか。なお私はノート:君主制にてすでにこの問題について議論しておりますので、ご参照いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。--Novo 2007年3月19日 (月) 10:07 (UTC)
- 御久しぶりですね。先日にノート:君主制のほうでIPアドレス(125.14.215.219)で投稿していた者です。Yu-chan794 としてアカウントを作成しましたので、今後とも宜しく御願い致します。
- さて、御質問のほうですが、現行の日本国が「皇帝(=天皇陛下)が支配する国家」に当てはまるかどうかですね。
- 確かに、主権在民の日本国憲法下では、天皇陛下に実際の支配権はありません。しかしそれは、日本国に限ったことではなく、現代の世界の立憲君主国のほとんど全てが、日本国とほぼ同様の主権在民の体制を用いています。国会や内閣が決定した法令を、形の上でのみ君主の名義で公布するというのが、現代における「君主の支配」のあり方の世界標準となっています。
- 極端な例を出せば、スウェーデン王国では、国王は政治に係る職掌を一切有さず、日本国と異なり法令を国王名義で公布することも認められません。しかし、「国王がいる」からには、共和国ではなく、れっきとした立憲王国として分類されています。
- これであれば、現代の日本国も十分に君主国または帝国に当てはまると思います。
- 先日のノート:君主制での会話でも、日本国が少なくとも立憲君主国であることは確認できました。それならば、あとは君主の称号により「帝国」「王国」「公国」等のいずれの呼称が適切かを選ぶのみです。日本国の君主は、「皇帝」に相当する「天皇陛下」ですから、日本国が「帝国」に分類されるのは自明の理であり、出典を待つまでもないと思われます。--Yu-chan794
2007年3月19日 (月) 14:54 (UTC)2007年3月19日 (月) 16:46 (UTC)
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- 前回の議論を帳消しにするつもりではありません。前回の議論の成果は引き継ぎたいと思います。
- しかし、前回の議論では「論理として矛盾のない理論であっても、出典の無いものは、Wikipediaの記事に書くのは控えたほうが無難かもしれませんね。」と結論してしまいましたが、その後、本項目をはじめ、Wikipediaのいくつかの項目を改めて精読したところ、出典を待つまでもなく当然の帰結として「日本は帝国である」と記しても良いのではと思ったのです。「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事」であれば、「独自の調査」にはあたりませんよね? --Yu-chan794 2007年3月20日 (火) 09:03 (UTC)
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- なるほど。「独自の調査」の解釈を変更されたということですね。
- まず、リンクを張られた「独自の調査」は、ごらんになってご承知と思いますが、現在改訂作業中で、今後どのような形でまとまるかがわからない状態にあります。引用された仮の日本語訳には確かに「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でも、その正確性を簡単に検証できる解説を行う記事」や、「分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事」とありますが、文脈を追ってみれば、そういう場合には「ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもよい」(下線Novo)とあるだけで、出典がいらないとは書いてありません。またその例は「アップルパイや最近の出来事など」に限られています。しかも、左側の英語版ではその一節が全部見せ消ちになっています。見せ消ちの意味は私にもよくわかりませんが、まあさしあたりこの文を金科玉条にはできないということでしょう。
- 上記の記述から、それからWikipediaのほかのページから、お話のように「出典を待つまでもなく当然の帰結として「日本は帝国である」と記してもよい」という結論を導き出された過程をもう少し詳しくご説明いただけないでしょうか。まだよくわかりませんので。--Novo 2007年3月20日 (火) 10:34 (UTC)
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- 念の為、英語版Wikipediaの"Wikipedia:No original research"を拝見しました。
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- An article or section of an article that relies on a primary source should (1) only make descriptive claims, the accuracy of which is easily verifiable by any reasonable, educated person without specialist knowledge, and (2) make no analytic, synthetic, interpretive, explanatory, or evaluative claims.
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- とあります(下線部Yu-chan794)。これを和訳すれば、
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- 一次資料に基づいた項目もしくは項目内の節は、(1)記述的な主張のみをするものであり、その正確さは専門知識が無くとも分別と教養のある人なら誰でも容易に検証できなければならない。かつ、(2)分析・総合・解釈・解説・評価にあたる主張であってはならない。
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- 今まで私は、日本語版Wikipediaの「Wikipedia:独自の調査」しか読んだことは無かったのですが、この日本語版では (1)と(2)の要件をいずれか満たしていれば良いとも取れる記述でしたから、私の帝国に関する一連の投稿は、(1)の要件を満たしているので問題ないと、てっきり思い込んでしまっていました。
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- しかし、英語版のほうの記述(こちらが原文ですよね)では、接続詞のandを用いており、(1)と(2)の両方を満たしていなくてはならないと明確に示しています。私の投稿は、a.日本の君主は天皇である。b.天皇は国際的に日本皇帝(Emperor of Japan)である。c.皇帝を戴く国は帝国である。これら3つの論拠を「総合」して「解釈」するものであるため、(2)の要件に抵触してしまい、Wikipediaの記事には書けないということになります。
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何度も同じことを提議しては、同じ理由で取りやめになって、そしてまた同じことを提議する、こんな事を繰り返してしまいまして、誠に御迷惑をお掛け致しました。今後、有力な参考文献が見つからない限りは、もうこの件に関する提議は控えます。すみませんでした。--Yu-chan794 2007年3月21日 (水) 03:41 (UTC)
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インデント戻します。今忙しく議論に継続的に参加できないのですが、一言だけ口を挟むことお許しください。わたし自身は現在の日本を帝国の範疇に入れることに違和感を感じます。アントニオ・ネグリなどの帝国論には詳しくないのですが、モンゴル史研究者の杉山正明氏などは「ありていにいって、現在でもなお、「皇帝」がいる国だから「帝国」であり、その日本帝国だから帝国主義というのだといった誤解も、日本もふくめ東アジアの国民レヴェルで否定しがたく見うけられるようである」(『モンゴルが世界史を覆す』日本経済新聞社、2006.3、244頁)と述べているように、皇帝の存在する国=帝国ではない、それは研究者以外にまま見られる誤認だとしています。杉山氏は「帝国史の文脈」(山本有造編『帝国の研究』名古屋大学出版会、2003)でも帝国について論じています。また帝国については「国民帝国」ということばが近年使用されていることからいっても、主権者の性格からのみ帝国かどうかは論じられないと思います。--Tears for Asia 2007年3月20日 (火) 11:58 (UTC)
- 確かに、一般国民のレベルでは、「帝国」に抵抗をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ここは百科事典ですから、素人向けの「平明さ」よりも、専門的な「正確さ」を優先すべきだと考えます。(うろ覚えですが、Wikipediaのガイドラインにもそのようなことが書いてあったはずです。) -Yu-chan794 2007年3月21日 (水) 04:42 (UTC)
本文の概念の節で、「日本は帝国である」と記してある箇所は、中立的な表現に改めました。--Yu-chan794 2007年3月21日 (水) 05:26 (UTC)
- まだよくわからないのですが、Tears for Asiaさんのコメントは、「「皇帝の存在する国=帝国」という認識は、国民レヴェルの、素人の誤解である」と専門家(杉山正明氏)が指摘している、ということではないのでしょうか。ですからそれに反論するためには別の専門家の出典を探してこなければいけないのではないのでしょうか。
- それから、本文の修正についてもまだわからないところがあるのですが、自分で記述したことに自分で{{要出典}}テンプレートを張るというのはどのような意図によるのでしょうか。結局、ご自身の記述は、「自明だから出典はいらない」のか、出典が必要なのか、どちらとお考えなのでしょうか。--Novo 2007年3月21日 (水) 07:30 (UTC)
- すいません。上のスレッドを読み落としておりました。(なるべく最新のコメントの後に書いてくださいね)
- 謝罪のお言葉が見せけちになっているのでコメントしにくいのですが、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にに書いてあるように、出典を求めるのは書き手以外の人であって、書き手自身ではありません。出典を示せない記述は書かないというのがルールです(Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」に書いてあります)。論理的に一貫しているかどうかと、妥当性、真実性とは別問題だからです。架空の物語は、論理的には一貫しています(そうでなければ読んでも理解できません)が、事実ではないのと同じことだと思います。--Novo 2007年3月21日 (水) 07:49 (UTC)
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- 前回のわたしのコメントの解釈は、Novoさんのご理解の通りです。わたしの違和感なるものは杉山氏の研究に基づくものです。
- 後加筆するかどうかについてですが、仮に論理に一貫性があったとしても、Wikipediaの性格からいって一つの研究者の見解=典拠に勝るものとは思えません。このまま対抗典拠の提出がないのであれば、記述の必要なしと考えます。もし提出されても、政治学や歴史学、社会学といった学会などで優勢な見解を加筆すべきでしょう。意見が二分されているのであれば、両論併記すべきだとは思いますが。そのためにはいくつもの典拠の提示が必要であることは言うまでもありません。--Tears for Asia 2007年3月21日 (水) 13:42 (UTC)
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はい、了解致しました。確かに、私が典拠もなしに独自の理論をここに書いてしまったのは、問題でしたね。
では、私の記述はすべて削除したほうがよろしいでしょうか? それとも、しばらく様子を見て、典拠が提示されなければ削除することに致しましょうか? --Yu-chan794 2007年3月24日 (土) 07:23 (UTC)
- ご理解いただきありがとうございます。もしYu-chan794さんがもう少し典拠を探してみたいとお考えならば、コメントアウトするだけでも良いと思います。ただいつまでもというわけにはいかないので、一週間程度経過した時点で見つからなければ削除にしてはどうでしょうか。もう探すつもりが無いというのであれば、削除でよいと思います。--Tears for Asia 2007年3月24日 (土) 18:27 (UTC)
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- そうですね。とりあえず今はコメントアウトにしておいて、出典が見つかり次第、それを本文に掲載することにしましょう。
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- また、恐れ入りますが、私一人では力不足ですので、他の読者の方からも出典の提示を求めるために、以下のようなメッセージを貼り付けるのはいかがでしょうか?
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提案:この項目の加筆に関する提案があります。詳細はWikipedia:井戸端/日本は帝国か? を参照してください。 |
この続きの議論は、Wikipedia:井戸端/日本は帝国か? にて御願いします。--Yu-chan794 2007年3月24日 (土) 22:59 (UTC)
- 一週間経過しましたので、典拠のないものは削除しました。同様のものを加筆する場合は、先にノートでの典拠提示を願います。--Tears for Asia 2007年4月2日 (月) 05:43 (UTC)