式守伊之助 (19代)
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19代式守伊之助(じゅうきゅうだい しきもりいのすけ、1886年12月15日 - 1966年12月14日)は、大相撲の立行司。本名:高橋金太郎。茨城県那珂郡勝田村(現ひたちなか市)出身。明治33年(1900年)夏場所初土俵。
峰崎部屋→友綱部屋→立浪部屋と所属が変わっている。初土俵時の行司名は木村金吾。その後、木村玉次郎、木村庄三郎を襲名している。
白く長いあごひげがトレードマークで、ひげの伊之助としても親しまれた。久保田万太郎は「初場所や かの伊之助の 白き髭」と詠んだ。31代木村庄之助は彼の最後の弟子である。
信念を貫く行司で、引退直前の昭和33年(1958年)9月場所、栃錦-北の洋戦で判定の難しい相撲となり、検査役に土俵をたたいて抗議し、出場停止処分を受けてしまったこともある。
しかし名行司である一方、ドジとしても有名で、背を高く見せようと足袋を上げ底にしたあげく、俵に引っかかって土俵下まで転落したり、力士の名前を忘れてしまい「お前さんでござい~」と勝ち名乗りを上げたり、三役格時代にも鏡里-玉ノ海戦で鏡里が勝ったのに「玉ノ海!」と言ってしまい、とっさに「…に勝ったる鏡里」と言ってごまかしたというエピソードがある。
ある年の九州場所、通用門から出勤しようとした所、若い警備員に観客と勘違いされ、注意されたところ、「余は式守伊之助であるぞ」と返したという。相撲界で「余」という言葉を使う人は珍しく、ここからも彼のキャラクターが伺える。
1959年11月場所で引退の際、土俵上で花束を受け取り、惜しまれつつ土俵を去った。この場所は所属する立浪部屋の新大関若羽黒が初優勝した場所で、優勝を決めた一番の勝ち名乗りを伊之助が挙げ、震える手で若羽黒に懸賞を授け感動を呼んだ。