徳川慶喜家
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徳川慶喜家(とくがわよしのぶけ)は、最後の征夷大将軍である徳川将軍家十五代当主徳川慶喜が明治維新ののち蟄居していたのを許され、宗家(将軍家)から別家として改めて公爵を授けられたことによって始まる家である。
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[編集] 概要
慶喜は大政奉還を行ったが鳥羽・伏見の戦いで敗れて蟄居、1868年田安徳川家の亀之助(徳川家達)に徳川宗家家督を譲り、宗家が新政府によって封ぜられた静岡で廃藩置県ののちも隠棲生活を送っていた。
しかし、1880年には許されて大政奉還の功により正二位に叙され、1897年、東京に戻ることとなった。そして1902年、宗家とは別家の扱いによって公爵を授けられ、新たに徳川慶喜家を起こした。
好色と伝えられる慶喜は子沢山で、徳川慶喜家から二家の男爵家(徳川厚・徳川誠)を分家させ、池田侯爵家(旧鳥取藩)と勝伯爵家(勝海舟の子孫)に養子を出した。また、高松宮妃喜久子は二代慶久の娘でこの家の出自である。
近年、徳川慶朝(慶喜の曾孫)と榊原喜佐子(慶喜の孫)が、それぞれ徳川慶喜家に関する本を出版している。
[編集] 歴代当主
[編集] 文献
- 高松宮喜久子『菊と葵のものがたり』中央公論新社、1998年。中央公論新社〈中公文庫〉、2002年。
- 榊原喜佐子『徳川慶喜家の子ども部屋』草思社、1996年。角川書店〈角川文庫〉、2000年。