徳川慶光
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徳川慶光(とくがわ よしみつ 1913年2月6日 - 1993年2月6日)は徳川幕府第15代将軍徳川慶喜の孫。公爵、貴族院議員。通称けいこう。
公爵徳川慶久の嫡男として、東京市小石川区小日向第六天町(現東京都文京区春日2丁目)の3000坪の屋敷で育つ。赤ん坊のとき祖父慶喜の膝に抱かれ、おもらしをした経験がある。
10歳で父を亡くして襲爵。学習院から東京帝国大学に進んで中国哲学を専攻し、卒業後は宮内省に勤務した。1938年には、会津松平家の子爵松平保男の令嬢和子と結婚した。
1940年1月に召集され、二等兵として入隊。しかし内地で肺炎にかかって陸軍病院に入院、退院と同時に除隊。1941年7月、ふたたび召集されるも身体検査で即日帰郷となる。1944年2月、3度目の召集で東部62部隊に入隊、二等兵として中国大陸を転戦。このとき赤痢やマラリアや栄養失調で入院し、生死の境をさまよった。1945年12月に帰国。
華族制度の廃止に伴って爵位と貴族院議員の議席を失った上、財産税の支払いのために小日向の自邸をも失う。このため静岡に移り、西園寺公望の別荘・坐漁荘に暮らした。東海大学の附属高校で漢文の講師を務めるが、その後はさまざまな事業を起こすも失敗、職を転々とする。やがて東京都港区高輪の借家に移り、1973年には東京都町田市の60坪の建売住宅に転居。
晩年は料理や野菜づくりなど趣味に没頭して生きる一方、愛人女性との不倫同棲事件で<和製ウィンザー公>と報じられたこともあった。パーキンソン病で死去。
宣仁親王妃喜久子は実姉。文筆家の榊原喜佐子は実妹。写真家の徳川慶朝は息子。娘の真佐子は衆議院議員平沼赳夫の妻。
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