恩智神社
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恩智神社 | |
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恩智神社 本殿 |
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所在地 | 大阪府八尾市恩智中町 |
主祭神 | 大御食津彦命 大御食津姫命 |
社格等 | 式内社(名神大)・河内国二宮・府社 |
創建 | 雄略天皇の時代 |
本殿の様式 | 王子造 |
例祭 | 11月26日(卯辰祭) |
恩智神社(おんぢじんじゃ)は、大阪府八尾市にある神社である。式内社(名神大社)、河内国二宮で、旧社格は府社。
目次 |
[編集] 祭神
現在の主祭神は、大御食津彦命(おおみけつひこ)、大御食津姫命である。当初は天児屋根命を祀っていたが、後になって枚岡神社に遷座し、現在の祭神を祀ることになる。大御食津彦命は天児屋根命の五世代の孫、大御食津姫命は伊勢神宮外宮に祀られる豊受姫大神の別名であるとされる。
大御食津彦命・大御食津姫命は第一殿に祀られ、第二殿には春日辺大明神、第三殿には天児屋根命が祀られている。
[編集] 歴史・概要
雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。
創建当初、社地は天王森 (近鉄恩智駅と国道170号(旧道=東高野街道)の中間ほどの場所) にあった。旧社地は「天王杜」と呼ばれて当社の頓宮があり、現在もムクの大木が生い茂っている。
710年(和銅3年)に周防国の玉祖神社から高安の玉祖神社へ天明玉命の分霊を勧請した際、分霊を一旦恩智神社に祀ったとされている。859年(貞観元年)正月に従二位、更に正一位に叙せられ、恩智大明神の称号を賜った。延喜式神名帳では河内国で四社のみの名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記載されている。
室町時代初期・建武年間に恩智の豪族、恩智左近満一が居城(恩智城)を神社の東に建てたため、神社を下に見下すことになって不敬であるとして、神社は城よりさらに高い所にある現在地に遷座された。
現在の本殿は明治年間に立て替えられたものである。建築様式は王子造(流造の一種)。 拝殿は、2000年(平成12年)に建て替えられた。
[編集] 閼伽井戸
閼伽井戸(清明水)は、本殿・拝殿の少し北側の境内にある井戸。
弘仁年間(810年頃) 空海(弘法大師)が恩智神社に参詣した折、峡谷の岩底に錫杖を突き立てたときに霊水が湧き出したと伝わっている。 天候を予知する清水として知られ、雨の降る前になると赤茶色の濁水が流れ出るといわれている。