戦争論 (クラウゼヴィッツ)
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『戦争論』(せんそうろん、Vom Kriege)はプロイセンの陸軍将校・軍事理論家、カール・フォン・クラウゼヴィッツの著書。未完であったが、死後、夫人マリーが遺稿を編集して出版した。「孫子」と並ぶ兵法書の古典として名高い。
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[編集] 内容
近代国民国家における戦争の本質を鋭く突いた古典的名著として、普遍的な価値をもつ書籍として知られる。『戦争論』は、ドイツ観念論的な思考形態に影響を受けており、そのことが同時代の他の戦争について触れた書籍とは一線を画している。これが、現在においても広く読まれるに足る論理的土台となっている。
「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という言は、クラウゼヴィッツの主張として引用されるが、かの主張はクラウゼヴィッツの主張の本質の一端を突いてはいるものの、必ずしもあらゆる戦争の本質について述べているものではない。ここで注意しなくてはならないのは、この書籍が始まったばかりの国民国家時代における戦争の原初的形態が現れ始めた時期に描かれたものであり、この時期に表出した「戦争」現象を描き出したものが、『戦争論』である。そのため、本書の叙述では、同時代的な軍事問題についての叙述を多く含み、それ以前の戦争、戦史研究を広範な社会全体と関連させて論じることにより、戦争そのものの本質を描き出そうとしている。現在、重要視されるのは、第一章と第八章であり、戦争の本質についての分析は、出版から170年近く経った現在でも高く評価されている。「孫子」と対比されることが多いが、抽象性、観念論的な概念的な理解を中心とするクラウゼヴィッツの手法が、現在の政治学、安全保障、軍事、戦争研究においても幅広くその価値を認められる原因であり、その点が孫子とは大きく異なる。
また、攻撃や防御といった概念について、体系的かつ弁証法的に記述してあるという点にも注目できる。クラウゼヴィッツの弁証法的思考形態は、ヘーゲルの著作を通して得たものではなく、19世紀初頭における同時代的な思想形態の変遷の中ではぐくまれていったものである。
『戦争論』における画期は、それまで「戦争というものがある」「戦争にはいかにして勝利すべきか」という問題から始まっていた軍事学において「戦争とはなにか」という点から理論を展開したという部分にあると言えるであろう。
ただし、死後に遺稿をもとにまとめられたため、重複する部分や断片的な記述に終わっている部分が見られる。本人により完成していればより体系的かつ、コンパクトなものになっていただろうと指摘されることがある。
[編集] その他
同時代文献としてジョミニの『戦争概論』があるが、単純で実践的色彩が強いために現在での評価はほとんど限定されたものとなっている。普遍的な戦争の勝利法があると信じ、幾何学的な合理的な思考形態を背景としたジョミニの思想は、現代においても技術中心主義的な軍備のあり方や、マハンやリデル・ハートなどのような研究者の中に、その共通性を見出すことができるが、これはジョミニの影響を受けたものというよりも、軍人達がシンプルな「勝利の追求」を求める際に行き着く共通の方向性であると思われる。その意味で、ジョミニの考え方は、多くの類似を持つものとして現在でも見直されることがあるものである。
[編集] 日本での歴史
日本に初めて伝えられた時期については諸説ある。既に幕末の頃に江戸城の御蔵書のなかに含まれていたという説、蘭語訳されたものを西周が持ち帰ったという説、長崎の出島を通じて入手した説などがあるようである。しかし、本質的にそれが、戦争哲学を学ぶ書であるというものが理解され、軍人達の間でその存在が理解されるようになったのは、森林太郎(森鴎外)によってである。森が留学中に留学仲間と輪読していたことからもあわせてみても、戦争論の紹介者としての森の地位は揺るがないであろう。 その後、多くの翻訳が出されており、馬込健之助(淡徳三郎)、篠田秀雄、清水多吉、日本クラウゼヴィッツ学会訳などが出版されたが、現在、邦訳で入手可能なものでは、清水多吉訳、日本クラウゼヴィッツ学会訳版が、最も原本に忠実なものとなっている。
[編集] 愛読者
- 著名な軍事オタクで、その類の評論も残している。
[編集] 参考文献
クラウゼヴィッツ(著), 清水多吉(訳)『戦争論』(上, 下), 中央公論新社, ISBN 4122039398, ISBN 4122039541