弁証法
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弁証法 (べんしょうほう、ギリシア語διαλεκτική、英語dialectic) とは、哲学の用語で、現代において普通にいわれるときには、ほとんどがヘーゲルやマルクスの弁証法を意味し、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則とされる(ヘーゲルなどにおいては、弁証法は現実の内容そのものの発展のありかたである)。しかし、この言葉を使う哲学者によって、その内容は多岐にわたっており、弁証法=ヘーゲル・マルクスとして全てを理解しようとするのは誤りである。
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[編集] 歴史
弁証法という言葉は、古代ギリシアの哲学に初めて登場し、それは他人との議論の技術、または事物の対立という意味で使われていた。ヘーゲル、マルクスのそれは三枝弁証法だが、フリードリヒ・シュライエルマッハーのような二枝弁証法、シェリングのような四枝弁証法もある。
[編集] ソクラテスの対話(問答法)
プラトンの対話においては、ソクラテスが実践した、ある一つの考え方が内在的に伴うことになる矛盾を明らかにするために、その主張に疑問を投げかけながら議論することでより真理に近づこうとする方法を意味する。
例えば、プラトンの著作『エウチュプロン』の中で、ソクラテスはエウチュプロンに、「敬虔」とは何かと尋ねた。エウチュプロンは、「敬虔」とは神々に愛されることだと答えた。ソクラテスは、ギリシャ神話の神々は人間と同じように争いごとが好きであり、これは神々も愛したり憎んだりすることを表している、と指摘した。エウチュプロンは、この意見に賛同した。そしてソクラテスは、ある一つのものがあれば、それを愛する神もいれば、それを憎む神もいる、と述べた。エウチュプロンは再びこの考えに賛成した。ソクラテスは、もしエウチュプロンの「敬虔」の定義が正しければ、神々に愛される「敬虔」と神々に憎まれる「不敬虔」の両方が存在しなければならないこととなるが、これは人間の側の心の持ち様が不問に付されているとして道理に合わないと結論付け、エウチュプロンもこのことを認めた。
[編集] ヘーゲルの弁証法
一般にヘーゲルの弁証法は、しばしば以下の3つの段階に分けて説明されるが実はヘーゲル自らがそのように分類したわけでは決してなく、フィヒテ、シュリングがカントの規定に対して述べたもので、ヘーゲルは逆にこれを否定した。
- ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反:反定立、反措定、反立、反対命題とも)、もしくは、それを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。
なお、ヘーゲルの弁証法における「矛盾」は数学や(記号)論理学における「矛盾」 とは全く別物であるので注意が必要である。 平たく言えば、数学や論理学における「矛盾」とは「事実」としての矛盾である。 つまり例えば「神は存在し、同時に存在しない」などのように現実的には絶対にありえない状況が数学や論理学における「矛盾」である。
それに対しヘーゲルの弁証法における「矛盾」は「主張」における矛盾である。 つまり例えば「神は存在すると考える」と「神は存在しないと考える」がヘーゲルの弁証法における「矛盾」である。
これは上の例と違って「絶対にありえない状況」ではないので、数学や論理学における「矛盾」とは異なる。
ソクラテスの対話と同じように、ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。 またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家という自己統一へと発展する「精神」が実現していく大きな運動だと認識した。
[編集] マルクス主義における弁証法
カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、ヘーゲルは「頭でっかち」だと考え、彼の考えを「地に足をつけた」ものにしなければならないと主張した。すなわち、ヘーゲルの観念論による弁証法における観念の優位性を唯物論による物質の優位性に反転させることで、唯物弁証法(唯物論的弁証法)またはマルクス主義的弁証法が考え出された。この弁証法を歴史の理解に応用したものが、史的唯物論(唯物史観)であり、この見方は、マルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーの著作に見て取ることができる。この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。
エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。
- 「量から質への転化、ないしその逆の転化」
- 「対立物の相互浸透(統一)」
- 「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。2.と3.に関するエンゲルスの記述は少ない。しかし、2.はマルクス主義における実体論でなく関係論と結びつく内容であるといわれる。つまり、対立物は相互に規定しあうことで初めて互いに成り立つという、相互依存的で相関的な関係にあるのであって、決して独自の実体として対立しあっているわけではない、ということである。3.はヘーゲルのアウフヘーベンと同じである。エンゲルスによれば、唯物論的弁証法は自然から弁証法を見出すが、ヘーゲルのそれはちょうど逆で、思考から自然への適用を行おうとする。
スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。ソビエト連邦の哲学者の中で最も有名な人物は、イバルド・イリエンコフである。彼は、観念論的偏向から解放されたマルクス主義的な弁証法の研究を続けた。
[編集] キルケゴールにおける弁証法
キルケゴールはみずからの弁証法を質的弁証法と呼び、ヘーゲルのそれを量的弁証法と呼び区別した。たとえば美的・倫理的・宗教的実存の領域は、質的に本質を異にし、そこにはあれもこれもでなく、あれかこれかの決断による選択、あるいは止揚による総合でなく、挫折による飛躍だけがある。
実存は、成りつつあるものとして無限への無限な運動、また単なる可能でない現実としてつねに時間的であり、その時間における運動は、決断とその反復において、時間における永遠を満たす。矛盾によって各々の実存に対して迫られた決断における真理の生成が、主体性の真理であり、主体的かつ実存的な思惟者は、いわば実存しつつ問題を解く。