戸田氏豊
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戸田 氏豊(とだ うじとよ、生年不詳 - 元禄11年8月29日(1698年10月2日))は、高家旗本。父は公家六条有純。生母は戸田為春の娘。初名は光教、忠元。通称は藤右衛門。官位は従四位下侍従、土佐守。
母方の祖父は戸田一西であったことから、はじめは一族の美濃大垣藩主戸田氏鉄のもとに身を寄せる。その後、姉のお万の方が将軍徳川家光の側室であったことから、幕府の旗本に取り立てられた。
慶安2年(1649年)10月1日将軍徳川家光に御目見する。同年12月25日武蔵国足立郡1000石を与えられる。慶安3年12月29日高家職に就任し、従四位下侍従・土佐守に叙任する。公家出身の最初の高家であった。元禄7年(1694年)10月15日高家職を辞職、寄合に所属する。元禄9年(1696年)12月11日隠居し、長男氏興に家督を譲る。元禄11年(1698年)8月29日死去、年齢不詳。
正妻は本多正勝の娘。二男四女あり。その他に養女一人あり。
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