新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件
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新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件(しんじゅくかぶきちょうらぶほてるれんぞくさつじんじけん)は1981年(昭和56年)3~6月に東京都新宿区歌舞伎町2丁目のそれぞれ別のラブホテルで3人の女性が殺害された連続殺人事件である。歌舞伎町ラブホテル殺人事件、新宿ラブホテル殺人事件、またはラブホテル殺人事件とも言う。
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[編集] 第一の事件
1981年3月20日午前10時頃、ホテルAで男女2人でチェックインしたのに男性が先に出て、なおかつチェックアウトの時間が迫っているのにその様子もなく内線にも応対しないことを不審に思った従業員がその部屋を覗いたところ、中年女性の絞殺死体があるのを発見した。部屋にあった名刺から一旦は歌舞伎町のキャバレーに勤めていた33歳のホステスと身元は判明するのだが、その後彼女のアパートを捜査したところ名刺の名前は偽名であったこと、年齢も45歳と12歳もさばを読んでいたこと、ともに事件の数年前に亡くなった夫と子供のいる45歳の女性であることが判明した。
彼女は夫と子供が相次いで亡くなる少し前に家出して歌舞伎町のキャバレーに勤めるようになったが、一緒にホテルAにチェックインした男性がキャバレーの客だったかどうかは定かではない。
[編集] 第二の事件
1981年4月25日午後10時頃、ホテルBでその日の午後9時頃一緒にチェックインしたのに男性が利用料も払わずに先に帰ったことを不審に思った従業員が利用していた部屋に入ったところ、浴衣だけを身に着けた20歳前後の女性がパンティストッキングで絞殺されているのを発見した。遺留品はイヤリング・サンダル・タバコ・ライターしかなく、彼女の身元を示すようなものは一切残されていなかった(男性が持ち去ったものと思われる)。
早速事件を捜査する新宿警察署では彼女の似顔絵を作成・公開し、「身近に心当たりは…」というコピーのポスターで全国の警察機関などに貼り出されたが、未だに身元は判明していない。
この被害者の特徴は以下の通りである。
- 肺がきれいだったこと(地方から上京して間もなく殺害されたことがこのことから推察される)。
- 腋に腋臭の手術痕があったこと。
- 歯の状況があまり良くなかったこと(虫歯が多い)。
[編集] 第三の事件
1981年6月14日午後7時40分頃、ホテルCでその日の午後6時30分頃、一緒にチェックインしたのに男性だけが先に帰ったことを不審に思った従業員が利用していた部屋を覗くと、全裸の若い女性が首にパンティストッキングを巻き付けられた状態で横たわっていたのを発見した。その時点では仮死状態であり、すぐに病院に運んだが、間もなく死亡した。被害者の身元は部屋にあった図書館で借りた本などから埼玉県川口市在住の17歳の女子工員であることが判明した。
解剖の結果遺体の胃からはコーヒーが200cc検出されており、歌舞伎町のどこかの喫茶店で容疑者と落ち合った後ホテルCに行ったものと思われる。また、この点から彼女は売春をしていた可能性も考えられる。
この事件が起きるまでは東京ローカルの事件として扱われてきたが、3度も同じような事件が続いたことからこの事件で初めて東京以外の地方紙でもこの連続殺人事件が報じられるようになり、週刊誌などでも取り上げられるようになった。
[編集] 第四の事件(殺人未遂)
- 1981年6月27日付朝日新聞東京本社版朝刊によると同年6月25日の午後11時頃、第三の事件の現場のすぐ近くにあるホテルDで当時30歳のホステスが一緒にチェックインした男性に首を締められ、抵抗したところ彼女の財布から現金を奪い、利用料も払わずに逃げ去ったという事件があったという。彼女はゲームセンターで一人でいたところをこの男性に誘われて一緒にホテルに行き、被害に遭ったという。前記3事件も同じような形で展開されたのではないかということがこのことから推察されるが、殺人未遂事件だったこともあってかこの事件はその後全く顧みられることはなかった。
[編集] 事件の共通項
この事件は連続殺人事件ではあるが、犯人が同一人物であったかどうかは定かではない(プライバシーへの配慮から監視カメラがホテル内に全く設置されていなかったことや従業員の記憶が曖昧だったせいもあるのか容疑者の似顔絵が作成・公開されていないことによる)。しかし、(全ての事件に当てはまるわけではないが)事件には以下に挙げる共通項が存在する。
- 殺害された3人から覚醒剤が検出されたこと。注射痕はないことから経口で使用したものと思われるが、だからといって容疑者が飲ませたかどうかは分からない。
- 第一の事件の被害者と第三の事件の被害者は売春をしていた可能性があること。また、売春をしていなかったとしても第四の事件のように歌舞伎町に一人でいたところを言葉巧みに誘われたということも考えられる。
- 第二の事件と第三の事件はパンティストッキングで絞殺していること。また、第三の事件と第四の事件は首の絞め方が酷似していること。
- 第一の事件は若い男性、第二の事件はサラリーマン風の男性、第三の事件と第四の事件は身長160cm台の30代のサラリーマン風の男性と容疑者の特徴がよく似ていること。
しかし一方で第二の事件は被害者の身元判明を不可能にすべく身元判明につながるようなものは一切持ち帰ったのに対し、第一の事件と第三の事件は身元判明につながるようなものを残していることや事件発生曜日や発生間隔に規則性がないこと、大胆に同じような場所で4件も事件を起こしていることから容疑者は同一ではないのではないかという見方もある。
[編集] その後
同じ地域のラブホテルで連続して女性が殺害されたことから当時は世間を騒がせたが、第三の事件の直後に深川通り魔殺人事件、その4ヶ月後に北炭夕張新炭鉱ガス突出事故、更に1982年に入るとホテルニュージャパン火災や羽田沖墜落事故といった大事件・大事故が相次いだこと、容疑者や第二の事件の被害者の身元が判明しないなど事件に進展がなかったこと、歌舞伎町で新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件(1982年6月、1997年6月公訴時効成立)などのような同じような事件が起き、そういう事件自体珍しくなくなったことなどからすぐに忘れ去られてしまい、捜査本部も1年を経ずして縮小された。1996年3~6月に相次いで公訴時効が成立しているが、そのことは全くといって良いほど報じられることはなかった。時々時代を象徴する事件として本で取り上げられる程度である。
また、第二の事件の被害者の似顔絵はテレビのワイドショーの公開捜査コーナーや当時正月明けに放送されていた「警視庁潜入24時」(テレビ朝日系)、更に警視庁では毎年9月に設定している「行方不明者捜索強化月間」について触れた新聞記事で掲載されたことはあったが、それも事件発生後数年間だけのことであり、その後は新たなポスターなどは作られていない。未だに身元不明のままであるが、たとえ身元が判明しても事件解決にはつながらないことや肉親が放任状態にしていたこと、家出同然で上京したこと、たとえ名乗り出なくても罪にはならないことなどから名乗り出がないものと推察される。
[編集] 事件の影響
- この事件が発生するまでラブホテルは前記の通り利用者のプライバシーを重視するために監視カメラを設置しないでいたが、その後も歌舞伎町だけでなく各地で類似した事件が起きたことなどから監視カメラを設置するようになった。
- 新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件と併せて全国的に歌舞伎町は怖い町であるという印象を与えることになった。深夜番組「トゥナイト2」(テレビ朝日系、1994~2002年放送)の人気レポーターで、その頃新宿区立淀橋第六小学校(1997年廃校、跡地は新宿区立西新宿小学校に転用)に在学していたせがわきりのエッセイ「新宿キッズ」(1998年リヨン社刊)にラジオ番組のDJが「歌舞伎町は何が起こるか分からない町だから気を付けましょう」と言っていたのを聴いたという記述があり、時期は明確ではないもののこれらの事件を念頭に置いた発言とも受け取れる。なお、せがわきりの初の児童文学作品である「夏のむこうへ」(2000年学習研究社刊)はこの歌舞伎町を舞台にしている。
[編集] 出典
[編集] 備考
- 西村京太郎の長編推理小説「北帰行殺人事件」(1981年)には第二の事件と酷似した事件が記されている箇所がある。
- 中森明菜のヒット曲「少女A」(1982年)は第三の事件の被害者をモデルにして作られたという話があるが、定かではない。
- 1989年11月24日放送の「素敵にドキュメント」(テレビ朝日系、1987~1992年放送)の終盤部分で司会者の逸見政孝が東京都の行旅死亡人の遺骨を納めた施設(正式名称不明)をレポートする場面があったが、その中で逸見政孝は小さなマンホールの蓋を開け、「ここには8年前世間を騒がせたラブホテル殺人事件の身元不明の被害者の遺骨も入っています」と紹介している。しかし、もしかしたら「私の家族では…」と名乗り出てくる人がいる可能性があるのに、更に捜査本部は既に解散または縮小してはいるが公訴時効はまだ成立していないのに他の遺骨と一緒くたにすることはあり得ないはずであり、報じ方のおかしさが指摘される。