新庄直定
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新庄 直定(しんじょう なおさだ、永禄5年(1562年) - 元和4年4月21日(1618年6月13日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。常陸国麻生藩の第2代藩主。初代藩主・新庄直頼の嫡男。正室は日野氏。子に直好、直之、直治。官位は従五位下、越前守。
父と共に豊臣秀吉、その没後は豊臣秀頼に仕えた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで父と共に西軍に与したため、戦後に改易されて父と共に会津の蒲生秀行に預けられた。後に罪を許されて徳川家康の家臣となる。慶長17年(1612年)、父の死後に後を継いで常陸国麻生藩の第2代藩主となる。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣には徳川方として参陣し、功を挙げた。
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