日本原子力研究所
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日本原子力研究所(にほんげんしりょくけんきゅうじょ)は、かつて存在した、原子力に関する総合的な日本の研究機関。日本原子力研究所法にもとづき、日本の原子力平和利用の推進を目的として、1956年(昭和31年)6月に特殊法人として設立された。2005年(平成17年)10月1日核燃料サイクル開発機構との統合に伴い解散、独立行政法人日本原子力研究開発機構となった。略称は原研(げんけん)。
日本の原子力研究の黎明期に中核を担ったのは、戦後の日本政府の原子力推進政策を受けて、1955年以降アメリカ合衆国のアルゴンヌ国立研究所(Argonne National Laboratory)に留学した技術者たちだった。後に原研大洗研究所所長となる鳥飼欣一もその一人である。彼ら、アルゴンヌ留学生たちが、帰国後、茨城県東海村の日本原子力研究所で本格的な原子力平和利用の研究を開始し、日本初の原子炉を完成させたといえる。
当時急増していた電力需要を賄う為に、日本は発電原子炉の導入を決定したが、当時の日本には国産原子炉を開発する技術がなく、各電力会社は海外製の原子炉を輸入するしかなかった。そこで、原子炉の基礎研究を行うために、1955年(昭和30年)11月に財団法人原子力研究所が設立された。翌年1956年(昭和31年)5月に制定された日本原子力研究所法に基づき、財団法人を継承する形で特殊法人日本原子力研究所が設立された。また、ほぼ同時期に、核燃料確保のための原子燃料公社や、各電力会社が原子力発電を運営するための日本原子力発電も設立された。
その後、国の方針で準国産エネルギー(核燃料再利用)を実現するべく、高速増殖炉の開発を行うことになったが、計画が持ち上がった当時の原研は、雇用主と労働者の間に意見の相違があり、意見集約ができなかったため、高速増殖炉の開発計画から外されてしまった。原研の代わりに発足したのが核燃料サイクル開発機構(旧動力炉核燃料開発事業団)である。