旧制六医科大学
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旧六医科大学とは、大正時代の時点で存在していた旧制9医科大学を母体としている大学の内、公立であった京都府立医科大学及び、 帝国大学へ昇格した大阪大学、名古屋大学を除く残余の、新潟大学、金沢大学、千葉大学、岡山大学、長崎大学、熊本大学の6大学のことで、大学病院格付をあらわすために用いられる言葉である。旧六医科大学、旧六、旧官六とも呼ばれる。
- 旧六医科大学
- 新潟医科大学(官立。1922年3月設置。現新潟大学医学部)
- 岡山医科大学(官立。1922年3月設置。現岡山大学医学部)
- 千葉医科大学(官立。1923年3月設置。現千葉大学医学部)
- 金沢医科大学(官立。1923年3月設置。現金沢大学医学部)
- 長崎医科大学(官立。1923年3月設置。現長崎大学医学部)
- 熊本医科大学(公立。1925年5月設置。1929年5月に官立に移管。現熊本大学医学部)
戦時中、帝国大学と旧六医科大学には、臨時附属医学専門部(附属医学専門部)が設置された(→旧制専門学校#臨時附属医学専門部(附属医学専門部))。これらの大学はそれぞれ、新潟医科大学、金沢医科大学、千葉医科大学、岡山医科大学、長崎医科大学、熊本医科大学として戦前から存続していた。旧制医科大学は、戦前、地方で強固な学閥を築き上げたといわれる。
[編集] 専門学校令と医科大学
専門学校令(明治36年勅令第61号)1903年には、「第十六条 千葉医学専門学校、仙台医学専門学校、岡山医学専門学校、金沢医学専門学校、長崎医学専門学校、京都府立医学専門学校、東京外国語学校、東京美術学校及東京音楽学校ハ本令施行ノ日ヨリ専門学校トス」により、旧六と俗に言われるモノの前身と考えても良いのであるが、専門学校令勅令旧七(六)医学専門学校の1.千葉大学医学部、2.岡山大学医学部、3.金沢大学医学部、5.長崎大学医学部、6.東北大学の医学部、7.京都府立医大の前身が、医学専門学校として制定された。その後の学校関連法案法の改革で、仙台医学専門が東北帝国大学医学部に昇格し、京都府立医科大学が大学令(大正10年勅令)で大学となり、旧六の前身の七(六)医学専門学校から外されて、その後に新潟医学専門学校が出来て、専門学校令発布時に存在していた私立熊本医学専門学校が県立(1921年)・官立(1929年)になり、俗に言う旧六医科大学となる。