昇進伝達式
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昇進伝達式(しょうしんでんたつしき)は、大相撲の番付編成会議で新横綱、新大関が誕生した場合に、使者が当該力士のもとへ赴いてその旨を伝えるもの。
現在ではほぼ形式的なものになっているが、新横綱、新大関は新番付の発表を待たずにこれを以ってそれぞれの地位に基づいた待遇を受けることになる。
使者は、理事と審判委員各1人。理事は一門を問わない(最近は昇進力士が属する一門の理事が使者を務めることが多い)が、審判委員は必ず当該昇進力士が属する一門の委員が使者を務める。
類似のものとして、新十両力士への昇進通知があるが、これは明荷や化粧廻しなどの準備が必要になる新関取に配慮してのもので、当該力士の待遇は正式な番付発表まで幕下力士のままとなる。
[編集] 逸話
- 明治36年(1903年)に常陸山谷右エ門が横綱免許を打診された際、できれば梅ヶ谷藤太郎 (2代)と一緒にお願いしたい、と答えたと言われているが、あるいはこれが現在のような伝達式の最初かもしれない。
- 大正6年(1917年)1月場所後、大錦卯一郎が横綱に、栃木山守也が大関に、出羽海部屋の両力士が同時昇進を果たしたが、伝達式は一緒に行われたのかどうか、資料が少なくはっきりしない。その後、同様の例は一度もなく、平成5年(1993年)7月場所で、貴乃花光司と若乃花勝(ともに二子山部屋)が、それぞれ横綱、大関への同時昇進の可能性があった時には、日本相撲協会も前例から学ぶことができずに苦慮した(結果的に、同場所では若乃花の大関昇進だけ実現した)。
- 昭和も戦後しばらくまで、番付編成会議は千秋楽の当夜、伝達式は翌朝に行われていた。鏡里喜代治や栃錦清隆に、自分があがれるとは思わず使者が到着しても部屋におらず、あわてて呼び戻されたという話がある。現在では編成会議は千秋楽の3日後に開かれることが多い。
- 貴乃花は平成5年1月場所の大関昇進では「不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」、平成6年(1994年)11月場所後の横綱昇進では、「相撲道に不惜身命を貫く所存です」と口上、ほぼ定型なものになっていた伝達式での口上に新境地を与えた。
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