星野道夫
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星野道夫(ほしの みちお、1952年9月27日 - 1996年8月8日)は、写真家。千葉県市川市出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。
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[編集] 生涯
1952年、千葉県市川市に生まれ、少年時代を同市で過ごす。通い始めた学習塾を1日で辞めたこともあった。彼の実家には今でも出身小学校(市川市立平田小学校)から生徒がインタビューのために来ることがある。
慶應大学時代は探検部で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。19才のとき、神田の洋書専門店で購入したアラスカの写真集を見て、同書に掲載されていたシシマレフ村を訪問したいと村長に手紙を送ってみたところ、半年後に村長本人から訪問を歓迎する旨の返事がきた。そこで翌年の夏、日本から何回も航空機を乗り継いでシシマレフ村に渡航する。現地でホームステイをしながらクジラ漁についていき写真をとったり、漁などの手伝いをしながら3ヶ月間をすごす。帰国してからは、指導教官にアラスカでのレポートを提出し、なんとか卒業単位を取ることができたという。
大学卒業後、動物写真家である田中光常の助手として写真の技術を学ぶはずだったが、助手としては、カメラの設置や掃除・事務所の留守番などの仕事ばかりで、2年間で職を辞した。
1978年アラスカ大学の入試を受けた。入試では、英語(英会話)の合格点には30点足りなかったが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学。その後アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物やそこで生活する人々の魅力的な写真を撮影した。しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまう。1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。1993年、萩谷直子と結婚。翌1994年、長男・翔馬誕生。1996年8月8日、TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外』取材のため滞在していたロシアのカムチャツカ半島南部のクリル湖畔に設営したテントでヒグマの襲撃に遭い、死去。享年43。事故を未然に防ぐことのできなかった番組制作サイドの対応など、その不可解な死因に関しては現在もなお議論の余地があるとされる。2006年、PRO-VISION ENGLISH COURSE Ⅱに偉人の一人として掲載される。2006年7月24日、NHKハイビジョン特集 「アラスカ 星のような物語~写真家・星野道夫 大地との対話~」が放映されたが、サラリーマン役の俳優がタバコを吸いながら海岸を歩くラストシーンが星野のイメージに合わないと物議をかもしている。
現在、代表的な作品を富士フイルム ウェブ写真美術館に展示している
[編集] 作品
[編集] 写真集
- GRIZZLY(平凡社 1985年)
- Alaska 極北・生命の地図(朝日新聞社 1990年)
- ALASKA 風のような物語(小学館 1991年)
- アークティック・オデッセイ(新潮社 1994年)
- GOMBE(メディアファクトリー 1997年)
- 星野道夫の仕事〔全4巻〕(朝日新聞社 1998年~1999年)
[編集] 随筆
- アラスカ 光と風(六興出版 1986年)
- イニュニック[生命](新潮社 1993年)
- 旅をする木(文藝春秋 1994年)
- 森と氷河と鯨-ワタリガラスの伝説を求めて(世界文化社 1996年)
- ノーザンライツ(新潮社 1997年)
[編集] 写真絵本
- アラスカたんけん記(福音館書店 1990年)
- ナヌークの贈りもの(小学館 1996年)
- 森へ(福音館書店 1996年)
- クマよ(福音館書店 1999年)
[編集] その他
- 星野道夫と見た風景(星野道夫/著・星野直子/著 新潮社 2005年)