木村進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木村進(きむら すすむ 本名同じ、1950年7月29日 - )は日本のお笑い芸人。かつて吉本興業に所属していたが現在はフリー。「木村進劇団」の代表。
目次 |
[編集] 来歴・人物
祖父は初代博多淡海、父は二代博多淡海。お笑い界の「サラブレッド」である。進も一時「三代博多淡海」を号したが、その後元の芸名に戻す。
[編集] 偉大な祖父と父
祖父の初代・博多淡海(本名・木村平三郎)は福岡市の伝統喜劇である「博多にわか」の素人役者だったのがプロ役者に転じた物で、父の二代・博多淡海(本名・木村平三)は父の死によって23歳で跡を継ぐと、松竹芸能に所属して東京進出を果たし、おばあさんの格好で正座したまま1mもジャンプする曲芸なみのギャグや藤山寛美との共演で有名となる。
[編集] 初々しいデビュー・父の重圧・吉本移籍
進は高校中退後、16歳で父の元に入門し「博多小淡海」を名乗るが、次第に「親の七光り」と「父の重圧」に耐えかね、19歳の時に松竹芸能のライバルであった吉本興業へ父の許可を得ず転籍する。このためしばらくの間は親子絶縁状態であったといわれる。 後年、新喜劇の舞台に二代・博多淡海が劇終了後に舞台へ上がり、「木村進をよろしくお願いします」と観客に向かって土下座をしたことがあり和解が成立した。
[編集] 新喜劇でスターに・そして、寛平との出会い
下積み生活はわずかな期間で終わり、元々早くから芸事を修行して素質があった進は23歳の若さで吉本新喜劇の座長となる。新喜劇で名コンビとなったのが、現在でも私生活で交流の続く間寛平である。
[編集] 過酷なスケジュールとの闘い
1970年代中盤~80年代前半は進の人気絶頂時代で、関西のTVでは進の出ない日はないといっても過言ではなく、新喜劇以外にもバラエティー番組にも進出。もっとも多いときには月60本の番組をこなすなど過酷なスケジュールとの闘いだった。
余談だが俳優・タレントの内藤剛志が27クール連続ドラマ出演の日本新記録と、タレントの立原啓裕が16本レギュラー番組出演の日本新記録を樹立しているが、それぞれの記録は現在も破られていない。
[編集] 3代目襲名・病魔に倒れ、栄光から地獄へ・そして屋号を返上
1985年以降は所属していた吉本新喜劇自体がマンネリ化していった。進は心機一転、父の跡を継ぐために1987年に「三代目博多淡海」を襲名。襲名後の「博多淡海チーム」の新喜劇にはマンネリを打開しようする試みも見られていた。そして1988年には全国巡回の襲名披露公演を行う。ところが、最終公演地で故郷でもある福岡市にて、脳内出血で倒れ重体となる(長年の酒好きと休みなしに仕事をし過ぎた事が原因と思われる)。その後、一命は取り留めたものの、左半身に重い障害が残り歩行ができなくなってしまう。その結果、新喜劇を退団し、吉本興業を退職。さらに松竹芸能への移籍話も一時は挙がっていたが、それも自然消滅した。この頃には妻・風間舞子(元・日活ロマンポルノ女優)との仲も悪くなっており、まもなく離婚に追い込まれるなど、栄光から一転して地獄に落とされる。芸人としても肉体に致命的な障害を背負う事になったため、マスコミの前からは姿を消すこととなり、同時に三代目博多淡海の屋号を自ら返上する事となった。
[編集] 芸能界復帰・寛平と再会・友情の証
その木村がマスコミの前に再び姿を表すようになったのは、盟友間寛平の賜物である。1999年10月10日になんばグランド花月にて行われた『間寛平芸能生活30周年記念公演』で、木村は端役ながらゲスト出演を果たし、間と舞台上で共演した。この時は、木村は電動車椅子に乗っての出演であった。以降、端役ではあるが、間とドラマ及び映画で共演する事が多くなった。短い出演時間でありながらも障害者の役を演じ、たびたび話題になっている。また、現在も木村のために、間はリハビリなど費用のためにカンパを集めていると言われている。
[編集] 現在
現在は障害者施設への慰問などを中心として活動をしている。詳細は前述したが左半身不随のため、現在も車椅子か松葉杖無しには移動及び歩行が困難となっており、舞台の上でも、電動車椅子に乗って、または松葉杖をついて出演する姿がたまに見られる。
[編集] 家族とショップ経営
2度の離婚経験者(バツニ)であるが、現在は再婚しておらず独身。最初の妻との間に出来た一人娘の優さんがいるが、2006年4月に結婚、9月に木村自身にとって初の孫(男の子)が誕生した。尚、孫及び優さんの夫の名前は一般人の為、公表されていない。 1990年代後半頃まで、大阪市の天神橋筋商店街や大阪府内に100円ショップ「木村進の店・多売来屋(たばこや)」を経営していたが、現在は経営から手を引いており、別の会社が運営している。
[編集] ギャグ
船場太郎と並ぶ当時の新喜劇2枚目役者であったが、見た目とは対照的な、父親譲りのおばあさんネタには定評があった。
- 「イーッヒッヒッヒッヒッ…」
- にやけた独特の笑い声。特に相手を威嚇する時に用いられる。
- 「おや、こんなところに水たまりが…」
- おばあさん役での持ちネタ。ありもしない水たまりを飛び越える仕草をする。
- 「聞いてください、婦人会の皆さん」
- 同じくおばあさん役のネタ。その場で持ち上がっている事件の内容によく似た身の上話を切々と語る。関係者が「あなたはひょっとして××では?」と尋ねると「いえ、赤の他人です」と言って落とす。
[編集] 出演した番組
[編集] テレビ
- 花月爆笑劇場
- お笑い花月劇場
- 吉本コメディ
- あっちこっち丁稚(木松)
- モーレツ!!しごき教室
- さんまの駐在さん
[編集] ラジオ
[編集] 著書
同情するなら笑うてくれ(光文社、1998年)
[編集] 外部リンク
カテゴリ: お笑い芸人 | 人物関連のスタブ項目