本多富正
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本多 富正(ほんだ とみまさ、元亀3年(1572年) - 慶安2年8月12日(1649年9月18日))は、江戸時代前期の武士で福井藩家老。越前府中城の城主。本多重富の子。
関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)に徳川家康の子、結城秀康の越前入府に附家老として従う。
府中(武生)領3万9千石を納める。当時の府中城下は、先の朝倉一族討伐、一向一揆鎮圧などにより荒廃しており、府中領主として赴任すると、領内の河川、用水、町並の整備を行い、荒地でも栽培し易い蕎麦を奨励する。更にこの蕎麦に大根の摩りおろしを掛けた蕎麦をお抱えの医者や蕎麦打ちに作らせた。これが一説に言う「おろし蕎麦(越前蕎麦)」の始まりとされる(「越前蕎麦」の名前自体は、昭和天皇が福井行幸の折に食し、大層気に入ってその後も折に触れて「越前の蕎麦」の話しをしたことに由来すると言われる)。他にも打刃物や織物等の発展に寄与した。
慶安2年(1649年)、78歳で死去。